【書評】『廃炉「敗北の現場」で働く誇り』/稲泉連・著/新潮社/1760円
【評者】関川夏央(作家)
二〇一一年三月十一日、「イチエフ」(福島第一原子力発電所)は津波で全電源を失った。原発は、電源を失えば冷却不能となって爆発する。なのに、津波がいつ来るかわからない日本で、非常電源は建物地下に設置されていた。
もっとも危機的だったのは、四号機の使用済み核燃料をおさめたプールだった。燃料の熱で水が蒸発、核燃料が露頭して爆発・四散したら東日本はダメになる。東京に住めなくなる。日本が破滅の瀬戸際で救われたのは、幸運と現場の決死の努力の結果だった。
非常時対応のあとにつづくのは「廃炉」である。「世界でまだ誰もやったことのない」仕事である。大震災直後、二〇一一年四月から三陸地方の「命の道」、国道45号の復旧に従事する人々を取材していた稲泉連が、「イチエフ」を訪れたのは二〇一七年九月だった。
日常を切断されて無人と化した地域の先「イチエフ」は、多くの人びと(最盛期七千人)が働く「現場」だった。東京電力だけではない。建設、電機をはじめ、さまざまな大企業に所属する人たちと契約者がいる。福島に骨を埋める覚悟のキャリア官僚がいる。
著者は、事故直後二〇一一年春に東電入社の男女技術者と会う。溶解し落下した核燃料「デブリの取り出し」を課題とした「廃炉創造ロボコン」に高専学生として参加した青年と話す。
午前四時半から「イチエフ」通勤バスを走らせるドライバー、大型休憩所内の食堂とコンビニで働く人たち、全面マスクをつくりつづける企業、すなわち「バックヤード」の人たちに聞く。著者の目配りは緻密だ。
「廃炉」には、最低でもあと三十年かかる。まだ原子炉格納容器に穴を開け、小石のようなデブリに「さわった」段階にすぎない。道は遠い。あまりに遠い。それでもこの「敗北の現場」で、「誰かがやらなければいけない仕事だから自分がやる」と気負わず口にして働く人びとのことを「誰かが書かなくてはいけない」。ゆえに稲泉連はこの本を書いた。
※週刊ポスト2021年5月28日号