日本プロ野球の歴史の中で、競技としての質を大きく向上させたのは、1961年に巨人監督に就任した川上哲治である。個人の力量だけに頼っていた時代に、川上は組織でのサインプレーを主とした「ドジャース戦法」を導入。1965~1973年の9年連続日本一、いわゆる「V9」を成し遂げた。
今回、当時の川上野球で使われた戦術やサインを克明に記す貴重なノートが発見された。「哲のカーテン」といわれる報道規制を敷き、外部へその内容を一切明かさなかった「川上野球」の中身が半世紀以上経ったいま、明らかになる。
「川上野球とは、“勝つためにどうするか”を徹底した野球です」。そう語るのはノートの持ち主の江藤省三氏(79)だ。1966年に巨人に入団、V9の2~4年目に在籍。中日に移籍し引退後は巨人などでコーチ、慶應義塾大学野球部監督も務めた。
今回公開されたのは、同氏が現役・コーチ時代につけていたノートのうちの6冊。中でも巨人時代のものは、ミーティングで川上監督や牧野茂ヘッドコーチが話していた内容が詳細に記載されており、球史の面でも大変貴重である。
V9の時代、川上監督は春季キャンプから徹底的に組織プレーを反復練習させた。それまで起床・練習開始時間が決まっている程度だったキャンプに、細かい練習スケジュールを導入。毎夜ミーティングを行ない、“考える野球”を定着させた。この土台になったのが「ドジャース戦法」だ。ヒットエンドランやバントを多用して得点を取り、組織的なプレーを元に守り勝つという、ブルックリン(現・ロサンゼルス)・ドジャースが駆使した当時最先端の戦術である。
当時はサインプレーで連携することなどほとんどなかった時代。例えば相手がバントしても1つアウトにすればいいくらいの考えで、現在のようなバントシフトは存在しなかった。
「そんな時代にバント防止のピックオフプレー(※注)や、ダブルスチール阻止といったサインプレーをやっていました。バントをさせるにしても、打ってくるかもしれないという予想を元に守備隊形を敷いていく。目から鱗でしたね」
【※注/投手、捕手、野手がサインで意思疎通して、相手走者の虚をつきアウトをとるプレー】