自らの芸に誇りを持つからこそ、衰えを自覚したら身を引くしかない。高座でわずかに詰まっただけで引退してしまったのは、昭和の名人、八代目桂文楽である。
『名人芸の黄金時代 桂文楽の世界』の著者で、落語・料理評論家の山本益博氏が振り返る。
「1971年8月31日の第42回落語研究会で、文楽は三遊亭圓朝作『大仏餅』を演じました。ところが途中、『神谷幸右衛門』の名前が出てこずに絶句し、『大変申し訳ございません。名前を忘れてしまいました。もう一度勉強し直して参ります』と言って高座を降りた。そして再び高座に上がることなく、その年の12月12日に肝硬変で亡くなりました(享年79)。
私は所用で北海道にいたためこの高座を見られませんでしたが、定期会員券を譲った友人が大慌てで『大変なことになった』と手紙を寄越し、文楽が高座を降りたことを知りました」
桂文楽は細部まで緻密に作り込み、寸分違わず演じてみせる「作品主義」ともいえる芸風で、同時代に「名人」と並び称された五代目古今亭志ん生とは対照的だった。
「天衣無縫な志ん生なら、ド忘れしても『名前なんかどうでもいいだろう』なんて言いながら客席を笑わせていたでしょう。しかし文楽は、名作を常に完璧に観せることで客を魅了していた。その日その時の稽古の具合や自分の体調についても徹底的に把握して高座に上がっていたのだと思います」(同前)
山本氏は、文楽は「もう一度勉強し直して参ります」という言葉をあらかじめ考え、お詫びの稽古までしていたと伝え聞いたことがある。
「70歳を超えたわが身に起きることを想定し、いつか来る“その日”のために練習までしていたというのは桂文楽らしいエピソードで、納得できる話です。“もしまた忘れたら”という思いを抱えたまま高座に上がることは、完璧主義者の彼にはあり得ない。肝硬変で倒れなくても、二度と高座に上がるつもりはなかったのでは」(同前)
※週刊ポスト2021年5月28日号