大谷翔平、照ノ冨士、池江璃花子ら、不屈の精神で危機を乗り越える姿は人々の心に刻まれる。遡れば昭和の時代、戦後復興を背景にそんな傑物たちが次々と現われ、がむしゃらだった日本人を鼓舞していった。
昭和の角界にも、強烈な復活劇があった。「角界のプリンス」と呼ばれ、絶大な人気を誇った大関・貴ノ花。183cm、114kgの細身ながら巨漢力士にも真っ向からぶつかり、驚異の粘りで逆転する取り口で、1972年9月場所後に輪島と同時に大関に昇進した時は、“貴輪時代”の到来を期待させた。
だが、ケガと内臓病に悩まされ、9勝6敗の成績が続き、「クンロク大関」と揶揄された。その間に輪島、そして北の湖が横綱になり、「輪湖時代」が到来。貴ノ花は蚊帳の外に置かれた。
そんな貴ノ花に初優勝のチャンスが巡ってきたのは、1975年3月場所だった。千秋楽の本割で敗れ、13勝2敗同士で迎えた横綱・北の湖との優勝決定戦。貴ノ花は北の湖の懐に食らいつき、強烈な上手投げをしのいでそのまま寄り切った。NHKアナウンサーとして43年間相撲中継を担当してきた杉山邦博氏も、この大一番の感動が今でも忘れられないと語る。
「のちに北の湖が『花道を下がりながら天井が見えなかった』と言ったほどで、あれほどの座布団が舞う様は私も見たことがない。土俵と観客がひとつになっていた。表彰式で優勝旗を渡したのは兄の二子山親方でしたが、貴ノ花は前を一切見なかった。後で聞くと『涙が出そうだったので下を見ていた』と言っていました」
それから四半世紀が過ぎた2001年の5月場所、息子の貴乃花が優勝決定戦で武蔵丸を下し怪我からの復活優勝。その時もまた、場内には座布団が舞った。
※週刊ポスト2021年6月4日号