【書評】『「敦煌」と日本人 シルクロードにたどる戦後の日中関係』/榎本泰子・著/中公選書/2090円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
私事にわたるが、昨年の暮れに母を亡くした。旅行の好きな人だったが、最期まで行ってみたいと言いつづけたところがある。敦煌である。足腰も弱っており、あきらめてはいた。私も、さほど親孝行な息子ではない。旅の介助役を、買ってでたりはしなかった。敦煌への夢も、聞き役に終始しつつ、うけながしたものである。
母のいだいたような敦煌へのあこがれが、江戸時代に一般化していたとは思えない。幻想の普及は、明治以後の現象であろう。日中関係の近代的な移り変わりがもたらしたに、ちがいない。いったい、彼女は何にとらわれていたのか。しばしば、私はそんなことを、とりわけ仏事のたび、考えるようになりだした。
書店でこの本を見つけた時は、とびついている。なにしろ、タイトルは『「敦煌」と日本人』である。本のオビには、こんな煽りの文句がおどっていた。「あの熱狂は何だったのか」、と。
話は二〇世紀の敦煌学にはじまる。大谷探検隊や京都帝大の成果が、まずあった。それらが、松岡譲や井上靖の文芸をうながす経緯も、しめされる。さらに、井上靖の『敦煌』がはたした役割は、圧倒的であったという。
NHKの『シルクロード』をてがけたスタッフは、その愛読者であった。映画の『敦煌』をささえた人脈も、その点はかわらない。敦煌熱の磁場に井上靖がいたことを、思い知る。しかし、著者の分析は、その指摘だけにとどまらない。テレビの番組や映画が制作される、裏面の外交問題もほりおこしている。
映画の『敦煌』には、体操選手だったコマネチが出演する予定も、あったらしい。ウイグルの舞い姫として。意外なエピソードももりだくさんで、たのしく読める。
興味深いのは、敦煌熱が女性を多くまきこんでいたという指摘である。その点は、おもに男性たちが語りあった邪馬台国問題などと、ちがっていた。こんなところにもジェンダー分析の可能性は秘められていると、かみしめる。
※週刊ポスト2021年6月4日号