『ドラゴン桜』で鈴鹿が演じるのは、学年トップの成績を持つ藤井遼。高校入試時に体調を崩したために志望校を断念せねばならず、やむなく龍海学園に入学してきた。それゆえ、彼自身の学力と龍海学園のレベルは不釣り合い。藤井は単身、東大を目指している。そんな彼は、周囲の生徒たちを馬鹿にし見下す生徒であり、我の強い存在だ。今作での鈴鹿は、この“我”をコントロールすることが求められ、それを丁寧に実践しているように思う。
鈴鹿はあくまでも生徒役の一人だ。自由に演じ、それを周囲が支えてくれることでシーンが成立するというのは新人時代の特権で、そこで際立つのが瑞々しさ。しかし今作では、瑞々しさではなく、完全に芝居で勝負している印象だ。同年代の俳優たちとの対等な掛け合いはもちろん、主演の阿部との演技合戦にもそれが垣間見える。
藤井と東大専科の関係において、何かを仕掛けるのは彼の方だ。一所懸命に勉学に取り組もうとする者たちに対して「バカがうつりそう」などと平気で口にする彼の高慢な態度に、本気で腹を立てているのは筆者だけではないだろう。その目と口元には、常に侮蔑的な色が浮かんでいる。しかし当然、仕掛ければ桜木たちの反撃がある。もちろん桜木の方が上手であり、これに対して藤井はリアクションを取らなければならない。鼻を折られた際の藤井の声と表情に注目だ。他人を見下すいつもの調子は乱れ、顔一面には狼狽の色が広がるが、それでも彼の我の強さは崩れ落ちることがない。自身の中にある狼狽と高慢さが拮抗するさまを、声と表情とで巧みに表現しているのだ。
「鈴鹿央士から目が離せない」と先述したのには、2つの意味がある。一つは、彼の演じる藤井がいまだに東大専科を敵視しているため、何を仕掛けてくるか分からない存在であるということ。もう一つは、鈴鹿本人の俳優としての変化である。シンデレラボーイは、早くも新人時代を終えようとしているのかもしれない。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。