東京五輪2020は、新型コロナウイルス感染拡大によって1年延期となったが、その後も感染拡大は収束せず、再延期すべきだという声も多い。まさに、歓迎されない大会となってしまった今大会だが、1964年に開催された前回の東京五輪は、日本の高度経済成長のきっかけとなった重要な大会だった。そして、1964年は、五輪開催の勢いに乗るかのごとく、日本のエンタメ業界も大いに盛り上がっていた──。
日本人の価値観を変えた植木等の明るさ
1964年は銀幕スターの映画と、普及し始めたテレビドラマが競い合った時期だ。コラムニストの泉麻人さん(65才・当時8才)はこう話す。
「ぼくは当時小学2年生で、『007』シリーズの映画とともに、子供の間でもスパイが話題になり始めました。テレビでの『忍者部隊月光』(フジテレビ系)や『隠密剣士』(TBS系)など、日本の忍者の隠し道具と比較したりして遊んでいました(笑い)。
よく覚えているのは、映画でもテレビでも人気だった『愛と死をみつめて』。テレビ版は脚本家・橋田壽賀子さんの出世作と後で知りましたね」
一方、『逃亡者』や『サンセット77』など、米国のテレビドラマに多くの人が夢中になった。テレビプロデューサーのテリー伊藤さん(71才・当時14才)が振り返る。
「アメリカのドラマや映画はジーンズの着こなしの参考によく見ました。そんな中、邦画ですごかったのは『日本一シリーズ』の植木等さん。あのとぼけた歌詞と、飄々とした明るさは、日本の老若男女の価値観を見事に変えたと思うんですよね」
洋画の当たり年だったのも特徴だ。
ザ・ビートルズとエレキにしびれ、演歌も聴いた
“今日よりもよい明日”が来ると信じ、誰もが懸命に生きていた1964年。その世相を代表する曲が坂本九の『明日があるさ』だ。
このほか、新人の西郷輝彦や『愛と死をみつめて』で日本レコード大賞を受賞した青山和子、都はるみ『アンコ椿は恋の花』や村田英雄『皆の衆』、美空ひばり『柔』、和田弘とマヒナスターズ『お座敷小唄』など、ヒット曲にも恵まれた年だった。
「面白いのは、日本の曲を聴きながら、“ザ・ビートルズやザ・ベンチャーズもいいぞ”“米国や英国にもいい音楽があるぞ”と、いろんな音楽が混在していて、ある意味、豊かでしたよね。なかでも、最もショックだったのが、洋楽がエレキギターを使っていたこと。そんな欧米の音楽に傾倒していくうち、加山雄三さんが彗星のように現れ、翌年には『君といつまでも』や『若大将シリーズ』でブレークしたのは本当にすごかったです」(テリーさん)
当時はザ・ビートルズの映像などなく、誰が『抱きしめたい』を歌っているかわからないまま、深夜放送のラジオやFEN(米軍極東放送網)を情報源にする人も多かった。
取材・文/北武司
※女性セブン2021年6月10日号