自分の死に時くらい、自由に決めたい──長生きが必ずしも“幸せ”ではなくなってきたからこそ、「安楽死」や「尊厳死」が注目されている。苦しみながら生きるくらいなら、穏やかな死を選びたいと願う人は少なくないが、日本では議論も法整備も進んでいない。
今年4月4日、『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など数多くの作品を手がけた脚本家の橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のため95歳で亡くなった。
橋田さんはかねて、「死に方くらい、自分で決めたい」と明かしていた。92歳の時に上梓した著書『安楽死で死なせて下さい』には、
〈病院にせよ自宅にせよ、ただベッドに横たわって死を待つなら、そうなる前に死なせてほしい〉
と、綴られている。人に迷惑をかける前に死にたい──橋田さんの意思表明には大きな反響があり、「安楽死」や「尊厳死」を巡る議論に注目が集まるようになった。日本尊厳死協会理事の丹澤太良氏が解説する。
「そもそも『安楽死』とは、医師による致死量の薬品投与などで死に至らせる“限りなく自殺に近い行為”を指します。一方、『尊厳死』は医学では手の施しようがない疾患で死期が目前に迫る患者が、人工呼吸器などの延命治療を拒否し、自然に近いかたちで死を迎え入れることを言います」
安楽死は、ベルギーやスイスなどでは合法だが、日本では法的に認められず、過去には関わった医師らが刑事罰に問われたこともある。尊厳死も法制化されておらず、「グレーゾーンの状態」(丹澤氏)となる。
そうした曖昧さもあり、本人が尊厳死を望んでいても周囲が延命治療を選択してしまうこともある。夫を先に亡くしていた橋田さんは前出の著書で、
〈家族のいない私が昏睡状態にでもなったら、“最善の”延命措置をされてしまうに違いありません〉
と不安を綴っていた。実際には、どのような最期を迎えたのだろうか。橋田さんを“ママ”と慕って長年にわたり母娘のような交流を続け、最期を看取った女優の泉ピン子さん(73)に聞いた。
「『(酸素吸入の)管を抜きますか?』と先生に聞かれて、『抜いてください』と伝えました。するとママは、眠るように、声も出さず亡くなりました」
そう明かす泉さんによれば、1か月ほどの入院生活を送っていた橋田さんは、本人の希望で4月3日に熱海の自宅に戻った。そして、翌日に息を引き取ったという。
「亡くなった日は人工呼吸器をつけていて、すごく息が苦しそうに見えました。ママはずっと『老衰で死にたい』と言っていましたが、最期を決める家族が誰もいなかった。
先生に『管を抜くとどうなりますか?』と聞いたら、『息が浅くなり、苦しまずに楽になります』とおっしゃったので、ママの友達と一緒に『じゃあ、取ってください』とお伝えしました。そうすると、本当に息が浅くなって普通に寝ている状態のようになって……。
『ママ!』って叫んだら一度パチッと目を開けて、私と目が合ったんです。それからまた目をつむって、そのまま息を引き取りました」