【書評】『コンヴァージェンス・カルチャー ファンとメディアがつくる参加型文化』/ヘンリー・ジェンキンズ著 渡部宏樹、北村紗衣、阿部康人・訳/晶文社/4070円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
ヘンリー・ジェンキンズさんとは一度だけ友人のマーク・スタインバーグからぼくと同じ頃「物語消費論」と同じようなことを書いていた人がいるよ、と引き会わされた。
彼は『スタートレック』の二次創作文化を題材にしたファン参加の文化論を展開していたが、一方では映像のメディア展開に関わっていて、その点がメディアミックスのインサイダーでもあるぼくと「似ている」という印象をマークが持ってくれた。
しかし、そういう資本主義システムに奉仕する参加型文化には隠れた政治性がある、とぼくたち現場の人間は経験上知っている。ジェンキンズさんはだから民主主義のツールとしてファン参加型文化のスキームを援用しようとし、本書はその双方の衝突にwebやファン参加型文化の可能性を仮託するものだが、当時から楽観的過ぎはしないか、という批判があった。
ぼくはちょうどファン参加の二次創作の出自が、大政翼賛会の時代の「協働」と呼ばれた投稿・参加型のファシズム動員にあることを見出しつつあった時期で、ファン参加論に肯定的にはなれなかった。
事実、日本におけるネトウヨ、北米のQアノンといったweb上の参加型政治のその後の光景は、ジェンキンズさんが夢見た光景とはかなり異なる。それ故、彼の著作の翻訳は喜ばしいし、これによってネトウヨ的現在の批評的な記述も可能になる。その意義は大きい。
他方、台湾の「ひまわり運動」でwebを通じた市民参加の実践者オードリー・タンの推薦と、翼賛用語からクールジャパン用語に転じた「協働」がcollaborateの語訳として不用意に用いられ、その政治性の矛盾に本の作り手がどうも無頓着なのが気になる。
それはかつてマルクス主義が翼賛体制に貢献したように、リベラルなweb論のネオリベ政治への回収が日本でも北米でも起きていて、本書も読む側のリテラシーが強く問われるからだ。だが、そもそもこの国では本書はBL論での引用に落ちつくという予感もないわけではない。
※週刊ポスト2021年6月18・25日号