川上哲治監督が成し遂げたV9時代、正捕手としてマスクをかぶり続けた森祇晶氏は“川上巨人の頭脳”と称された。森氏には忘れられないひと言があるという。森氏が川上監督の思い出を語る。
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選手・川上哲治の時は怖くて口もきけなかったけれど、監督になってからはシフトやサインプレーのこともあったので、いつも会話していました。怖いとか、雲の上の人というイメージはなかったなぁ。川上さんがシーズンオフに座禅を組みに行く岐阜の寺に同行したこともあります。
怒られ役は僕と決まっていて、ミーティングでも何かあるたびに怒られていた。「また始まったなぁ」と思って聞いていましたが、選手の個性を見て、怒っていい選手と怒ってはいけない選手を分けていたのだと思います。シーズン終了後に「よくやったな」と言われたことはありましたが、面と向かってプレーを褒められたことは一度もなかった。
〈森氏が最も印象に残っているのは、川上の監督就任1年目の1961年、米フロリダ州で行なわれたベロビーチ・キャンプだという。チーム改革を目指す川上の希望で実現したドジャースとの合同キャンプは、森氏にも大きな影響を与えた〉
キャンプ前にドジャースのコーチ、アル・カンパニスが書いた『ドジャース戦法』という本が全員に1冊ずつ渡され、それを読み込んでから渡米しました。“野球はこんなに複雑なものなんだ”と、すべてが目からウロコでしたね。
このキャンプこそ、日本の野球を組織だったものに変えていく大きなきっかけでした。
この時に川上さんに言われたのは、
「とにかく頭の中を空っぽにしろ。そして見るもの聞くものすべてを吸収しろ。それが教わるということだ」
直にドジャースの練習方法や考え方を学びに行くのだから、固定観念を捨てて謙虚になれということ。そこには川上さん自身の「勉強するんだ」という気持ちも込められていたと思います。ベロビーチでは、練習が終わってから、毎日1対1で話をしました。