島村宜伸元農水相は中曽根康弘氏の側近として長く仕えた。島村氏が政治の師とその言葉について振り返った。
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父・島村一郎は衆議院議員でしたが、私は政治家になるつもりはなく、日本石油に就職しました。
ただ、地元の江戸川区の下水道整備が遅れているのを見るに見かねて、砂防会館に行った時、事務所から出てきた中曽根さんとバッタリ。それが最初の出会いでした。
せっかくなのでお話ししたいと言うと「5、6分ならある」と部屋に通され、お互いの持論をぶつけあって結局、40分くらい話した。後日、会社に電話があり、1970年から秘書になりました。
当時の中曽根派は新政同志会という小さな派閥で、勉強会が中心でした。評論家や専門家を招いて講演を聞く時、中曽根さんはいつも前列に鎮座ましましていました。
「お互い国会議員なのだから対等だ」という考えで、派閥の領袖だからといって威張ることは一切ない。怒鳴っているのは見たことがありません。
勉強しろとは一切言わない。だけれど「島村、この本、知っているか」とちょくちょく本をくれるんです。自分がお読みになったもので、必ず傍線(ライン)が引かれており、どこが大事なのか分かるんです。それらを読み、中曽根さんと話をすることで、どんどん知識を増やしていきました。
〈1976年、父・一郎が引退すると、宜伸氏は衆院選に立候補。初当選を果たし、その後は文部大臣や農水大臣を歴任していく〉
私は側近だから応援は後回しでいいのに、わざわざ来てくださった。父は中曽根さんの1期先輩ですが、石橋派に属したいわば政敵。それでも父の東京湾開発の実績などを持ち出して「大変立派な方だった」と褒めるので、地元の方々は目に涙して喜んでいました。