現職の国会議員でありながら、視察先のラオスで行方不明となった元・陸軍参謀の辻政信(つじ・まさのぶ)。2021年は、その“謎の失踪”からちょうど60年の節目の年となる。当時58歳だった辻がもし今も存命なら、118歳になっている計算だ。
1945年8月にタイ・バンコクの陸軍司令部で終戦を迎えて以降行方をくらまし、ラオス、中国と渡り歩いて5年近くにわたる「潜伏」生活を送ることになった辻の特異な経歴を踏まえて、失踪直後は“再び自ら行方をくらましたのではないか”と報じられた。
たとえば、当時の読売新聞は、「辻政信氏、消息断つ 四月東南アへ行ったまま」の見出しで大きく報じている。
〈全国区選出参議院議員辻政信(五八)は去る四月四日羽田空港を出発、東南アジア各国視察の旅にでかけたが、同二十七日[実際は21日]バンコク発自宅あての手紙を最後にその消息を断った。留守宅の妻千歳[ちとせ]さん(五十)もこのほど外務省に非公式ながら調査を依頼、同省でもタイ国大使館を通じてその行方を捜しているが、かつて『潜行三千里』の逃避行をやってのけた辻氏のことだけに、こんどもはじめから計画した『潜行』ではないかと関係者はみている。〉(1961年5月27日付)
記事中に『潜行三千里』とあるのは、辻が戦犯指定を解除された後の1950年に発表した手記の一つで、この年のベストセラーとなった。翌年の印税収入ランキングで、辻は吉川英治や川口松太郎といった当時の人気作家と並んで堂々10位に入っている。この「潜行三千里」が辻の代名詞のようになっていたため、「また潜行か?」と囁かれたのだった。
そればかりでなく、中国に入国したという情報や、ベトナム戦争回避を狙っていたために米軍に射殺されたとする噂、さらに革命後まもないキューバに渡航したといった説まで流れた。
だが、『辻政信の真実』(小学館新書)で近年明らかになった資料などを検証した読売新聞記者の前田啓介氏は、その可能性に疑問符をつける。
「当時、辻政信議員の秘書を務めていた藤力(ふじ・つとむ)氏は、今も地元・石川県に健在ですが、その藤氏あてに辻から送られたハガキを読むと、多少帰国の時期が遅くなったとしても、それほど日本を長く離れるつもりはなかったと思われる記述となっています。まして、日本に戻らないつもりだったとは考えにくいのです」