6月9日、関西空港連絡橋(大阪府泉佐野市)から37歳の女性と4歳の娘が飛び降りて死亡した。その約2時間前には、2人が住む和歌山市内の自宅から16歳の娘が心肺停止状態で発見され、病院搬送後に死亡が確認された。亡くなった「37歳の女性」は、1998年に起きた和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚の長女だった。
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母子3人が命を落としたこの日(9日)、奇しくも眞須美死刑囚の弁護人が和歌山地裁に申し立てていた再審請求が受理(5月31日付)されていたことが報じられた。翌10日に眞須美死刑囚と面会した50代の親族が語る。
「最初に『警察から何の連絡もないし確証はないが、実は長女が……』と切り出したら、『そんな話はいらん』と一蹴されました。これまでも私が面会する時は裁判の話が中心で、家族の話をすることはなかったこともあり、それきり話すタイミングを逃してしまった」
その後、再び長女の話になった際に「関空連絡橋から落ちたらしい」と伝えると、眞須美死刑囚は何も口にはしなかったものの不安げな表情を浮かべていたという。
“きょうだいの母親代わり”
1998年の夏、眞須美死刑囚、夫の健治氏と4人の子供たちの一家に、全国から視線が集まっていた。
7月25日に和歌山市園部の自治体が主催した夏祭りで、カレーを食べた67人が急性ヒ素中毒になり、4人が死亡した。和歌山県警は同年12月に眞須美死刑囚を殺人・殺人未遂容疑で逮捕した。事件を取材した記者が語る。
「当時中学3年生だった長女が、記者の質問に答える両親を複雑な表情で見守っていた。年下の長男や、幼稚園児だった三女が記者たちのところに無邪気に顔を出すのを“こっちに来ていなさい”と連れ戻していた姿が印象に残っています」
それから23年の時を経て、その長女の死が報じられることになった。健治氏が明かす。
「きょうだいの中でも長女は一番眞須美に似ていたね。目がクリッとしていて体形も同じ。眞須美の両親からとにかく可愛がってもらったから、6歳くらいからじいちゃんばあちゃんに会いに一人で電車に乗ってたよ」