放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、書店で見つけたノンフィクションと東京の思い出をつづる。
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週に3回は本屋をのぞくのが楽しみだ。出たばかりの雑誌やら新刊本の表紙を見て歩くだけで幸せになる。親も親戚も皆な出版社をやっていた血がさわぐのか……。私だけが本ではなく放送の世界にすすんだ。小説やドラマはそんなに見ない。やっぱりフィクション(作り物)よりノンフィクション、バラエティが肌に合う。〈落語〉で談志が分析する「作品派」か「己派」かと言うと“演者”そのものにひかれる「己(おのれ)派」なのだ。この2週間で乱れ読みしたノンフィクションを。
衝撃! 表紙の白黒写真が圧倒する『あるヤクザの生涯 安藤昇伝』(石原慎太郎/幻冬舎)。あの石原が安藤昇のモノローグという形で一気に書きおろしている。戦後、渋谷の町でヤクザと闘った愚連隊。なんたって安藤組はみんな大学出なのだ。
渋谷に住んでいた我々にとって安藤組はあの時代、町を守ってくれる一種のヒーローだった。最強の男といわれた安藤の右腕・花形敬に、我々の少年野球チームはいつもノックをうけて鍛えられていた。ワシントンハイツに住んでいたジャニー喜多川が渋谷の少年達を集めて作った野球チームが「ジャニーズ」。我がチームは2戦して2敗。花形さんの顔も立たなかった。
3試合目、雨で試合中止。ジャニーにつれられて数名が話題の映画『ウエスト・サイド物語』を見に行った。これからは野球じゃない、歌って踊れる若者が格好いいと初代ジャニーズを結成。その時私は仲間を誘って『社長漫遊記』を見にいっていた。この時点で人生は右と左に大きく分かれていた。「やっぱ森繁とのり平は最高だよな」なんて言っていたのだ。
発行からおよそ50年『日本の喜劇人』に書き足して書き足して、この度『決定版 日本の喜劇人』(小林信彦/新潮社)が出た。その筆は志村けん、大泉洋にまで及んでいる。