【書評】『エラー』/山下紘加・著/河出書房新社/1672円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
「フードファイター」の女性を主人公にした小説である。「(大食い競技は)理論もテクニックもしっかり立ったものであるのに」「競技者がアスリートとして扱われない」ことに疑問を感じたのが、執筆の契機となったと作者はいう。米国には国際大食い競技連盟があり、プロスポーツ化を実現すべく、「メジャーリーグ・イーティング」を組織しているらしい。
本書の「一果」は容姿が良く、グラビアアイドルやレースクイーンとして活動していたが、「真の大食い王者は誰だ!?(「真王」)」のプロデューサーに飲食店でスカウトされ、大会で優勝したことから、一躍有名になる。いまは、元モデルで現会社員の彼氏と同棲し、スーパーでバイトをしながら、年一度の「真王」出場とテレビ出演のためにトレーニングを積む日々。大食いで生計は立たなくても、自分を「プロ」のフードファイターとみなしているのだ。
努力家の一果は四年間、無敵の女王だった。ところが、ノーマークだった地味な主婦に追い落とされ、さらに現役アイドルの友人が「真王」に参戦してきて……。
大食い競技は人気がある一方、スポーツと違って「はしたない」と見られがちなのはなぜか。それは人間の三大生理欲求の一つ、「食欲」を満たす種目だからだろう。食欲を性欲に換えてみればわかる。しかし、ほかの競技の走る、跳ぶ、打つ、当てるなども、人間の本能的な欲と快感に根差しているのではないか。人間は結果的に気持ちよくなることしかやらない。「競って勝つ」ことにも大いなる快感がある。
一果はなぜ数ある快楽から大食いを仕事に選び、自らの「底」を追究するのか。ここには「名声欲」や「承認欲」も関係するだろう。彼女が取っ組みあっているのは、巨大オムライスやラーメンではなく、己の「欲」という肥大する化け物だ。その先で起きる「エラー」とは? 彼女の中にある空洞がもっと不気味に描けているとなお良かったが、快作だ。
※週刊ポスト2021年7月2日号