「作戦の神様」か、「悪魔の参謀」か——。1941年12月8日未明、太平洋戦争の緒戦「真珠湾攻撃」の数時間前に、英領マレーの地でもう一つの奇襲作戦「マレー作戦」の火蓋が切って落とされた。この作戦を立案・主導したのが、日本陸軍の第25軍作戦主任参謀・辻政信(つじ・まさのぶ)だった。
辻は、密林に覆われ“天然の要塞”と言われたマレー半島1000kmをわずか70日ほどで踏破し、イギリス軍の拠点シンガポールを陥落させた。真珠湾攻撃の戦果を大きく上回る“圧勝”で、「作戦の神様」と称されるまでになった。
だがその一方で、シンガポール占領後の華僑虐殺やフィリピン戦線でのアメリカ兵捕虜殺害などの責任を問われ、「悪魔的作戦参謀」「地獄からの使者」「爆弾男」といった批判的なレッテルを貼られたことでも知られる。
そして最後は、視察に訪れた東南アジアで失踪し、今から52年前の1969年6月、法的に「死亡宣告」が出された。
毀誉褒貶の激しい辻政信は、その過剰なまでの猪突猛進ぶりもしばしば指摘されてきた。
陸軍幼年学校時代のあだ名は「鉄ちゃん」。由来は、鉄のような意志の持ち主であるということと、「堅物」との意味もあったという。
それでも、石川県山間部の貧しい炭焼きの家の出身ながら、陸軍幼年学校、陸軍士官学校をいずれも首席で卒業。エリート中のエリートが集まる陸軍大学校も成績優等で卒業した。