いよいよ開幕が迫る東京五輪。プロアスリートして競技にのみ専念し腕を磨く選手がいる一方、「神主×クレー射撃選手」という異色の経歴を持つ選手がいる。“神職スナイパー”として活躍する石原奈央子選手に東京五輪への思いを取材した。
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柔道や体操のように、幼少期から競技を始め、10年、20年をかけて東京五輪に出場するアスリートが多数の一方で、銃所持の規制上、日本では免許を取得できる20歳からしか競技を始められないのがクレー射撃だ。そして、選手寿命が比較的長い競技ともいえる。
46歳にして2016年のリオ大会に続く二度目の五輪を迎えるのが、スキートに出場する石原奈央子だ。所属の古峯神社は栃木県鹿沼市で1300年続く由緒ある神社であり、彼女の実家。日本庭園が広がる敷地内には、明治6年(1873)年から狩猟を稽古する射撃場があり、現在はクレー射撃の練習場となっている。
古峯神社で84代目の宮司を務める石原の父・敬士氏はやはり、クレー射撃の名手で、1968年のメキシコシティー、1980 年のモスクワの両大会で五輪代表となりながら、競技団体の不祥事や日本のボイコットで辞退することになった幻のオリンピアンだった。
父の果たせなかった夢を、娘が継ぐ。そんな使命から競技を始めたのだろうか。
「いえ、まったく(笑)。両親からクレー射撃をやりなさいと言われたことは一度もなかったです。射撃の免許を取得したのは23歳の頃。ただ、イギリスに留学していたので、腰を据えて射撃競技に向かうことはなく、本格的に競技を始めたのは30歳を過ぎてからです。『やるからには五輪を目指したい』という思いを抱え、当初から2020年の東京大会に照準を合わせていました。東京に向けて経験を積む過程で、リオ大会に出場することができた。選手たちの目の色が他の大会とは違っていて、五輪特有のピリピリ感というか、緊張感があり、父がこの雰囲気を味わえなかったことはすごく残念なことだったと実感しました」
結果は予選落ち。あれよあれよという間に時間が過ぎ、あまり記憶に残っていない。