美術の世界では「裸体」や「裸婦」は重要なモチーフだが、そこで常に問題視されてきたのが「陰毛」だ。裸体と陰毛は切っても切り離せないものだが、猥褻の境界線はどこになるのか? 陰毛の歴史に迫った『ヘアヌードの誕生』の著者・安田理央氏が解説する。
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ルネッサンス期のヨーロッパでは裸体美術も盛んだったが、宗教的なモチーフを描くことのみに許されていたため、生々しくなってしまう陰毛表現は敬遠された。女性の股間は陰毛も性器もないツルツルな状態として描かれたのである。
しかし19世紀に写真が発明されると、すぐにヌード写真も撮られるようになり、そこでは陰毛は修正しない限りそのまま写った。いや、むしろ陰毛を強調するような写真も多かった。絵画においても、写真の影響で陰毛まで描く写実的な画家が増えていった。20世紀に入ると陰毛は次第にダブーではなくなっていく。クリムトやドンゲン、モディリアーニなどが陰毛を描き込んだ絵を次々と発表した。
そして70年代にポルノが解禁されると、もはや欧米では誰も陰毛を問題視することはなくなったのである。
一方、日本では平安時代に生まれたと言われる春画において、陰毛も性器もしっかりと描きこむのが普通だった。江戸時代には木版印刷の技術が広まったことで、春画も庶民が楽しめるようになっていく。この時期の春画の陰毛の一本一本まで丁寧に彫り上げられている技巧には驚かされる。
しかし開国の時代を迎えると、裸体に関して厳格な西洋の価値観が流入してきたことから、混浴や春画が禁じられてしまう。
その一方で西洋の美術にも触れることとなり、従来の日本にはなかった裸婦美術という概念は大きな摩擦を起こした。裸は猥褻なものだと禁止しておきながら、裸は芸術だとも言う矛盾はその後の日本のヌード観に影響を与え続けることとなる。陰毛が猥褻なものと考えられるようになったのもこの時期からである。
※週刊ポスト2021年7月2日号