欧米でポルノ解禁の嵐が吹き荒れていた1970年代初頭。日本でもポルノおよびヘアが解禁されるのではないかという噂が囁かれた。しかも1971年11月23日に解禁されると日にちまで特定されていたのだから信憑性もあった。
この時期、日本でも以前に比べて、猥褻に関しての取り締まり基準が緩くなってきていたこともあり、解禁の噂を信じて色めき立った映画会社や出版社も多かった。中にはそれまで禁じられていたアメリカのポルノ写真集を輸入しようと手はずを整えていた業者までいたほどである。
結局、これはデマであることがわかり、11月23日は何事もなく終わった。しかしポルノを解禁しないのは欧米に比べて遅れているのではないか、という意見は根強く残った。サブカルチャー誌の雄として知られる『スタジオ・ボイス』(流行通信)が1977年に「陰毛解禁運動」なる連続企画を掲載していたのは正にその象徴だろう。
美輪明宏、フランソワーズ・モレシャン、立木義浩、四谷シモンといった文化人が猥褻規制や陰毛解禁について語っていくこの企画、なんと1年にわたって連載されたのだから、同誌の陰毛解禁に対する思い入れの強さが感じられる。
この特集の第1回の前文にはこう書かれている。
「陰毛表現一つを取り上げてみてもこの現在の日本の表現の自由における状況は、どんなに閉そく的であるかは、これから記していくことから明らかになるだろう。(中略)日本はこのままでは、文化的鎖国状態になってしまうだろうから……」
陰毛を語ることが表現の自由を語ることだった、そんな時代があったのである。
※週刊ポスト2021年7月2日号