警察庁Webサイトによれば、2019年(令和元年)の行方不明者の総数は8万6933人。この数字には、年々増加傾向にある認知症(またはその疑い)による行方不明者なども含まれているが、総数としては、過去10年ほぼ横ばいで推移しているという。
そうした行方不明者の多くは、届出受理からまもなく、その所在(または死亡)が確認されている。だが、行方がわからないまま7年間が経過し、生死すら確認できない場合、不在者の配偶者などの申し立てにより「失踪宣告」がなされ、法律上、死亡したものと見なされる(最高裁判所ホームページ「失踪宣告」より)。
今から60年前の1961年(昭和36年)、視察先のラオスで行方がわからなくなった現職の国会議員にして元陸軍参謀の辻政信も、生死不明のまま7年が経過し、1969年(昭和44年)7月14日に法的な死が確定した。
失踪が報じられた当初は、辻の名前を全国に知らしめたベストセラー『潜行三千里』の再現ではないかと噂された。
1945年(昭和20年)8月、敗戦をタイ・バンコクで迎えることになった作戦主任参謀の辻政信は、現地の軍司令部を離れ、僧侶の姿で「潜行」することを決意する。このときの行動については、のちに研究者らから「戦犯追及を免れるのが最大の動機だった」(秦郁彦著『昭和史の軍人たち』文藝春秋)とされているが、辻自身には大義があった。
〈原子弾の恐るべき威力と、抗命持久の前途とを冷静に、深刻に再検討し、退いて再建のため大陸に潜ろうと決意した。〉(辻政信著『潜行三千里』1950年版 毎日新聞社)
〈腸[はらわた]を千々にさかれるような苦悶をこえて、一人で大陸にもぐり、アジアの中に民族の再建をはかろうと決意をかためる。その行動がもし[天皇陛下の]大御心にそむく結果になったら、そのときこそ笑われないように腹を切ろう。〉(同書1957年版 東都書房)