プロレスラーの夢を捨てきれず、2年近く勤めた京セラを退職し、1987年6月に全日本プロレスに入団した小橋建太(54)。ジャイアント馬場の付き人を経て中心選手となり、三冠ヘビー級王者をはじめ数々のベルトを巻いた。その小橋が、“師匠”である馬場からかけられた印象深い言葉を振り返る。
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馬場さんの付き人になったのは、先輩レスラーのハル薗田さんが事故で亡くなった時に、当時の付き人が押しかけた取材陣に対処できなかったことがきっかけ。先輩たちに「お前が付き人をやれ」と指名されたんです。
ところが翌日、馬場さんの部屋に挨拶に行くと「誰が言ったんだ? 俺はお前が付き人だとは認めん。帰れ!」と怒鳴られてしまった。翌朝、ホテルのロビーで馬場さんを待ち、「お早うございます!」と挨拶しても無視され、以降まともに口をきいてもらえない時期が続きました。きっと、勝手に付き人を替えられたことに怒っていたんでしょうね。
それでも40キロくらいある鞄を持ったり、洗濯したり、付き人としての作業はしていました。馬場さんの場合、ホテルのベッドメイクも付き人の仕事です。ホテルに用意してもらったビールケースを足のほうに積み上げてサイズを調整し、枕も4つ用意するのが“馬場さん仕様”でした。
〈まともに口もきいてくれない馬場との関係が大きく変化したのは、1988年2月にデビュー戦を終えた後のことだ〉
試合後、「デビューしました。ありがとうございます」と挨拶に行くと、馬場さんが「屋上のレストランで待ってるからな」と誘ってくれたんです。メニューを渡され、「好きなものを頼め」と言われていろいろ注文しましたが、緊張で何を食べたのかは覚えていません。ただ、「よう頑張ったな」と言ってもらった時は、入門からの苦労が全部洗い流されたような気持ちでした。
とくに印象に残っているのは、「プロレスラーは怪物であれ。でもリングを降りたら紳士であれ」という言葉です。
リングに上がるためのトレーニングや心構えは、普通の人間ではなく“怪物”でなければいけないというのです。