【書評】『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」(上・下)』/船橋洋一・著/文藝春秋/各2310円
【評者】関川夏央(作家)
福島第一原発の激甚事故から十年。まがまがしく黒い大津波、帰宅難民の長い列、それから原発水素爆発の映像は記憶から消えない。二〇一一年三月十一日から十六日まで、日本は破滅と紙一重だったのだと改めて確認するのは悪いことではない。というより絶対に必要なことだと思う。
二〇一二年二月、「民間事故調」の一員として報告書を提出したジャーナリスト船橋洋一は、さらに当事者インタビューを重ね、二〇一二年十二月、個人の著作『カウントダウン・メルトダウン』を上梓した。
それは「負け戦」の「戦記」であった。凄惨な「勝ち戦」の戦記は役に立たない。しかし負けの理由をさぐり、後退戦を戦った人々の事績を明らかにする「負け戦」の記録は、現在と未来のために欠かせない。
「想定外」の高さの津波で「全電源喪失」、炉と使用済み核燃料プールを冷やせなくなったうえに、あいつぐ水素爆発。二〇一一年三月十四日、東京電力経営陣は、もう手に負えない、「撤退」したい、と菅直人首相に泣きついた。だが、この「戦争」には「撤退=降伏」を認めてくれる「敵」がいない。
「撤退」はチェルノブイリ以上の放射能汚染をもたらし、最悪、東日本と東京は壊滅する。東電本社には疲労とあきらめの色が濃かったが、現場はそうではなかった。
免震重要棟がたまたま前年に完成していた。使用済み燃料プールにたまたま水が残っていて空焚きにならなかった。注水に使える長いアームを持った「キリン」のようなコンクリート圧送機がたまたま見つかった。それら「たまたま」の組み合わせと、現場の決死の努力が「背骨を折られかけた」日本を救った。
前作から十年、著者はさらに取材を重ね、当時の緊迫した状況を再構築した。ぎりぎりのところで「完敗」を防いだ人々の活動を再現した。のみならず、一九八〇年代後半から現在までつづく、日本そのものの「負け戦」の本質を明らかにした。
※週刊ポスト2021年7月9日号