音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、立川志の輔の二番弟子、立川志の八独演会についてお届けする。
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立川志の輔が下北沢の本多劇場で圓朝作『牡丹灯籠』全編を2時間半で語る公演は今や夏の風物詩。今年も8月2日から6公演行なわれる。
その本多劇場で志の輔の二番弟子、立川志の八が5月9日に独演会「しのはちの覚悟2021~左甚五郎」を無観客で生配信した。8日には有観客で行なうはずだった公演が緊急事態宣言発出により中止となり、翌日の配信公演のみとなったもの。前半は志の八が甚五郎伝説を探るドキュメンタリー映像とトーク、後半は志の八がこの公演のために創作した落語『眠り猫』。こうした二部構成はまさに志の輔譲りだ。
『眠り猫』は三代将軍家光による日光東照宮の“寛永の大造替”を舞台とする物語。大棟梁の甲良豊後守は日光に全国各地から職人を集め、甚五郎に江戸の職人の束ね役を頼んだが、甚五郎は二代目政五郎を推挙して自らは固辞。豊後守は若い政五郎の後見を甚五郎が務めることを条件に了承、甚五郎には奥社への回廊の門に彫刻をするよう命じた。
だが日光では江戸の職人への反発は強烈で、日光の職人を束ねる金蔵の嫌がらせは執拗を極めた。甚五郎が彫り上げた眠り猫を豊後守は「大権現様が望んだのは猫がのんびりと眠れる太平の世。さすが名人だ」と絶賛したが、欄間に据えた途端その猫が目を開け、唸り声を上げた。金蔵の憎悪が火種となって全国から集まった職人の間に諍いが絶えず、猫が安眠できないのである。
金蔵が「この猫は疫病神、叩き壊せ」と煽ると、怒り心頭の政五郎は殴り込みをかけたが、押さえ込まれて謹慎処分。裁きは“喧嘩両成敗”だが金蔵は収まらない。決着をつけるため甚五郎が金蔵の許へ行くと、金蔵は「その右腕を落としてもらおう」と迫る。無理を承知の嫌味だったが、甚五郎は平然と「右腕一本でいいのか」と差し出し、切り落とさせた。「喧嘩両成敗、お前の腕ももらおうか」と言われた金蔵は泣いて許しを請い、これを機に職人の諍いがなくなると、眠り猫は安心して目を閉じた。名人が右腕を失ったことを嘆く政五郎。だが甚五郎は「見くびるんじゃねえ! 俺は“左”甚五郎だ!」と力強く宣言してサゲ。