今季のペナントレースは関西の両雄が引っ張っている。セ・リーグは、驚異の新人・佐藤輝明(22)を擁する阪神が前半戦から首位を快走。一方のパ・リーグは、6月21日にオリックスが9連勝を達成。開幕前にはAクラス入りも危ぶまれたチームが7年ぶりとなる単独首位に浮上した。
両チームはその後も首位をキープ(6月30日終了時点)、「関西頂上決戦」への期待が高まっている。
振り返れば、最後に関西の球団が日本シリーズで対決したのは1964年。奇しくも今年と同じく、東京五輪の年だった。
当時大学生だったデイリースポーツ元編集局長の平井隆司氏が当時を振り返る。
「秋の東京五輪開幕に協力するためにペナント開幕を早めたこの年、デッドヒートの末にリーグ優勝を勝ち取ったのは、阪神と南海ホークスでした。関西の球団が日本一を争うのは史上初で、それぞれの親会社である電鉄会社の始発駅を結ぶメインストリート名から『御堂筋シリーズ』と騒がれました」
阪神有利の下馬評を覆して、4勝3敗で南海が日本一に輝いた。当時の南海の四番・キャッチャーは野村克也氏で、最優秀選手は3勝を挙げたスタンカだった。
この日本シリーズは異例のことだらけ。第7戦までもつれた上に雨天順延を挟んだため、10月10日に行なわれた最終戦は、東京五輪の開会式と被るという珍事も起きた。
当時、阪神の2番セカンドでスタメン出場した安藤統男氏が語る。
「あの時のことはよく覚えています。選手は昼に行なわれた開会式をテレビで見て、第7戦のナイターに臨みました。夜は五輪の人気競技が重なって世間は東京五輪一色だったけど、関西だけは大騒ぎでしたね」