7月4日に初日を迎えた大相撲名古屋場所の最大の見どころである横綱・白鵬の取組。休場を続けた白鵬にとって、文字通り進退がかかる場所となり、負けが込むようななら“引退”の2文字が現実的となってくる。
これまで、大横綱の引退には「ドラマ」がつきものだった。1971年5月場所では、横綱・大鵬が後の大関・貴ノ花(当時は小結)に敗れ、引退を決めた。昭和の大横綱の引退劇は、“角界のプリンス”への世代交代としてもファンの記憶に残っている。1991年の5月場所では、千代の富士が新進気鋭の貴花田(後の横綱・貴乃花)に敗れたことをきっかけに引退を決意した。「体力の限界……」と言葉を詰まらせた引退会見の後に、若貴ブームという新しい時代がやってきた。
だが、幕内最高優勝44回を数えながら、この1年は途中休場を含めて6場所連続休場となり、ここまで延命を繰り返してきた横綱・白鵬には、そうしたドラマを期待できそうにない。
「白鵬も、自らの引退をドラマチックに演出したいという思いはあったようだ。その相手は、自身が主催する少年相撲『白鵬杯』の第1回大会・団体戦の優勝メンバーである阿武咲(前頭6)や、大鵬の孫である王鵬(十両12)あたりが候補となるはずだが、番付的に今場所は当たらないし、そもそも引退を延ばし延ばしにしたことで、ファンにとっても感動より“やっとか”という思いが強くなってしまう状況が生まれている」(担当記者)
これまで、白鵬は「休場明けの場所で強さを見せつけて優勝」というパターンを何度も見せてきたが、それもこの1年は影を潜めている。角界の暴力問題を巡って再発防止検討委員会の外部委員を務めた経験もある漫画家・やくみつる氏からも、「場所前の稽古の様子も伝わってこないし、本人の気力がどこまで残っているのか」と指摘されるような状態になってしまった。
親方としての野望も
白鵬は、早い段階から引退後に部屋を興す準備をしてきた。すでに炎鵬や石浦といった関取の内弟子を抱えている。
「引退後の1年は、宮城野部屋の部屋付き親方となるが、すぐにでも独立した部屋として機能させられる自信はあるのでしょう。唯一の懸念は、一代年寄ではないかたちで協会に残るうえで必要となる年寄名跡の手配でしたが、それも不祥事で退職した先代の時津風親方(元前頭・時津海)が権利を持つ『間垣』が手に入れられる目処がたったという。もはや、引き際をどうこうより、親方としてのし上がることに興味が向いているのではないか」(ベテラン記者)
つまり、白鵬の“戦いの場”は協会内での出世争い、権力闘争へと移行していくというのである。
「協会内部からは『引退後は白鵬にも雑巾がけからやってもらう』という声が聞こえてくる。横綱が引退すると、ヒラ年寄ではなく委員待遇からのスタートになるが、それでも親方としてのランクは80番目より下です。館内警備などの現場業務を割り当てられる」(同前)