五輪における日本のお家芸といえば「柔道」だろう。その選手たちが身にまとう柔道着は白──そんな“常識”が覆ってから21年が過ぎた。柔道は他の競技のユニフォームのように、国によって色合いが異なることはない。だが、世界の“JUDO”となるに伴って、白一色の柔道着をテレビ映えするようにとカラー化を求める声が高まった。反対していた柔道の母国・日本も容認せざるを得なくなり、いよいよ五輪で導入されたのが2000年のシドニー五輪だった。
青の柔道着を着た金メダリストの第一号は、大会初日に行われる女子48kg級のあのレジェンド、田村亮子(現姓・谷)だった。ちなみにその直後、野村忠宏も金メダルを獲得したが、彼の場合は決勝の畳には白の柔道着であがっていた。
「あの日、僕はトーナメント表の一番上に名前があり、1回戦から決勝まで、すべて青の柔道着でした」
21年前をそう振り返るのは、男子81kg級で優勝した瀧本誠(駒澤大学総合教育研究部スポーツ健康科学部門)だ。トーナメント表の上にくる選手が青を着るレギュレーションだったという。それまでは試合で使う柔道着と予備の柔道着の2着を会場に持参していたが、カラー柔道着の導入によって4着持っていかなくてはならなくなった。
「正直、面倒くさかったですよね。僕は着替える必要がなかったけど、選手によっては試合毎に着替えなくてはならない。以前なら、柔道着の下は何もはかなかったのですが、他の選手がたくさんいる中で素速く着替える必要が生まれたので、スパッツを着用するようになっていました」
瀧本は古賀稔彦(故人)や吉田秀彦ら数々の名選手を生んだことで知られ、規律の厳しい柔道私塾「講道学舎」の出身だ。白以外の柔道着を着ることに抵抗はなかったのだろうか。
「最初はありましたけど、いざ導入されると違和感はまったくなかった。引退後、海外の大会に足を運ぶと、チームによって色とりどりの柔道着があって、上が赤に下が黒とか、上下で色が違っていたりして華やかだったんです。こんな柔道も面白いなと思ったのが正直な気持ちでした」
青色柔道着の導入に問題があったとしたら洗濯する時だ。
「当初の青色柔道着は色落ちしやすく、一緒に洗った他の衣類に色移りすることがあったんです(笑)。最近の青色柔道着は改良が重ねられてそんなことないと思います」