放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、1956年から1961年にニッポン放送で放送されたラジオ番組「トリロー・サンドイッチ」の音源がみつかった三木鶏郎さんについてつづる。
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「三木鶏郎(トリロー)」ときいて「ああ、あの人」とすぐに分かるのは60代、70代の人達だろう。戦後日本のポップカルチャーを生み出し創った巨人である。
私が学生時代せっせとネタのハガキを送っていたのが永六輔。よくラジオで読まれ、謝金のようなものももらっていた。その永六輔が子供の頃(相当古い話だ)、人気番組・NHKの『日曜娯楽版』にいつも社会風刺のコントなどを投稿し、三木トリローから誉められていた。中学時代から採用されていたというから相当の才能だ。高校から大学時代など「放送作家」として堂々とNHKに出入りしていたというから早熟の天才だ。
トリローは「冗談工房」という集団を作り、クリエイター達を集め、NHKから新しく出来た民放へとどんどん仕事を広げていった。門下生には〈作家部門〉で永六輔、神吉拓郎、野坂昭如、伊藤アキラ、キノ・トール、能見正比古、五木寛之ら。
〈作曲部門〉で神津善行、いずみたく、桜井順、CMソング等歌う〈歌手部門〉に楠トシエ、中村メイ子、〈俳優部門〉には三木のり平、千葉信男、丹下キヨ子、小野田勇、河井坊茶、〈鶏郎楽団〉がジョージ川口、小野満、鈴木章治と、キラキラして胸躍るクリエイティブなアーティスト集団である。
CMソングはきけばすぐに分かる耳になじんだものばかり。「ワ・ワ・ワ輪が三ツ」「明るいナショナル」「ジン・ジン・仁丹ジンタカタッタッタタ」「うちじゅうでみんなキリン、キリン」「アスパラでやりぬこう」「クシャミ3回、ルル3錠」膨大な量の作品が残っている。作曲家として、コピーライターとして放送におけるコント作家の元祖として大嫌いな戦争が終わってパッと自由に花開いた都会っ子の洗練された文化なのだ。