映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、2021年3月に亡くなった俳優・田中邦衛さんの過去インタビューから、脇役について語った言葉を紹介する。
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田中邦衛が亡くなった。
役ではなく自分自身として人前に出て話すことを苦手としてきた俳優だったので、残念ながら彼が残した「役者としての言葉」はそのキャリアの長さや演じてきた役の幅の広さに比べて少ない。
ただ、ありがたいことに「ムービー・マガジン 第十三号」(一九七七年、ムービー・マガジン社刊)にて高平哲郎がロングインタビューをしており、独特のとつとつとした語り口を見事に文字として再現しつつ、田中邦衛の役者としてのスタンスについて、かなり詳しくうかがい知ることができる。そこで今回はその中から、いくつか印象的な言葉を紹介していきたい。
なぜ俳優になったのか。これは本連載で筆者も俳優たちに必ず最初に聞いているのだが、高平哲郎も田中邦衛にその質問をぶつけている。が、高平は何度も聞いているにもかかわらず「その質問に明確な答えをひとつも出してくれていない」と振り返るような状況だった。
一方で、役作りの話になると「俺、そう聞かれると困っちゃうんですね」と前置きしながらも確たる言葉で語っている。
「役に入っていく場合、抵抗してやってくほうがいいですね。思い悩んで……。そういうほうが、集中を必要とするでしょ。特に細かくデータを調べたり。“読み”が勝負って感じしますね。
やっぱり優秀な人は、役になりきれるんでしょうね。こっちは集中してないから、なりきるっていったって、どっかで醒めた目があったりしてね。同じ殺人犯の役でも、その人物の深みにどうやって入っていくかというのが個人的な作業ですからね。人物だって文学書を抜けだしたみたいな人で深みのない人だっている。もっと役もらって入っていくとき震えるくらい感動してやっていきたいね」
どちらかというと田中自身も「なりきれる」タイプの俳優だと思っていただけに、「醒めた目」を持って細かく調べたりしながら役に入っていく──というのは意外だった。さて、この時期の田中邦衛が演じる役柄は専ら脇役。そこも、自身を醒めて見つめる言葉で語っている。
「ぼく自身に限れば、やっぱり脇役って感じしますね。主役というのはパワーというか持続力というか、人物の大きさって気がします。健さんなんか、“大きさ”あるもんね……。主役を喰うってことより、まず役の深みを、まず考えればいいし、二、三回深くやる……。よくわかんないけど、ただムキ、不ムキから言うと、やっぱり脇だという……」