高度成長期のニッポンを牽引したのが「昭和ヒトケタ」世代だ。自らの力で前を向き、上を向いて生きていこうとした彼らは、後の世代にどんな教えを残したのか──。(文中一部敬称略)
史上最多となるプロ野球通算400勝の金字塔を打ち立てた金田正一(2019年没、享年86)は昭和8年に生まれ、17歳で国鉄へ入団。2年目から22勝を挙げるなど、巨人に移籍するまで14年連続で20勝を記録した。
「昭和ヒトケタの選手はみんな個性がもの凄く強かった。そのなかでも、金田は別格でしたね。あの時代は(技術を)教える人がいない。だから自分で考えて、自分でやっていく。あるいは他人のいいところを盗んで自分のものにするというやり方しかなかった」
そう振り返るのは、中日のエースとして金田と数々の名勝負を繰り広げた杉下茂だ。大正14年生まれだが、明大旧制専門部を経たために、プロ入りの時期は金田と重なる。
「金田は自信満々で、“オレのボールは打てっこないよ”という感じでやっていました。18歳くらいからずっとそう。それほどボールに威力があった。自分のストレートを打った年上の打者に対して、“よくオレのボールを打った”と言うくらい。僕も頑固でしたが、金田も頑固でね。揺るぎない信念があった」
前人未到の成績を残した金田は、引退後にロッテ監督として日本一を達成する(1974年)。昭和24年生まれの村田兆治は、東京(後のロッテ)に入団後、評論家時代の金田のアドバイスによりマサカリ投法を身につけ、金田監督時代にエースとして活躍した。村田はこう話す。
「昭和ヒトケタは、自分で人生を切り開いていった人が多かったよね。我々は戦後生まれで、育ったのは少し豊かになった時代だったから、全く違う世代という印象です。
ただ、“オレが、オレが”と言う一方で、認めるべきは認めてくれた。僕はカネさんに認めてもらったひとりだが、入団2年目のキャンプで(評論家として訪れた)カネさんが“この子は凄い”と言ってくれたんです。当時、0勝1敗の選手でコーチは誰も認めてくれなかったが、その一言で変われました」