今回のオリンピックの体操では、「キング」内村航平が鉄棒でまさかの落下。高難度の技を決めた直後だっただけに、ファンの落胆も大きかったし、体操の怖さを思い知らせるシーンとなった。しかし、いったんは会場から姿を消した内村が、すぐに仲間の元に戻って後輩たちを鼓舞する姿は、日本体操界の結束と伝統を感じさせもした。
1968年のメキシコシティー大会で団体総合、つり輪、平行棒、鉄棒の4つの金メダルと床運動の銀、個人総合の銅メダルを獲得し、続く1972年のミュンヘン大会では団体総合とつり輪で金、ゆかで銀、個人総合で銅と、合計10個ものメダルを獲得したレジェンドが中山彰規さん(78)だ。引退後は出身の中京大学で体育学部教授として後進の指導や研究に打ち込んだ中山さんは、日本体操の強さの秘密は伝統を伝えるチーム力にあると語る。
「私があれだけのメダルを取れたのも、それまでの伝統があったからです。小野喬さん(4大会でメダル13個)、遠藤幸雄さん(3大会でメダル7個)といったすばらしい先輩がいましたので、練習も一緒にやりましたし、結構こまかい注意もされました。ただし、物を投げたりといったスパルタはなく、厳しくもていねいに教えてもらいました」
中山さんは前回の東京オリンピック(1964年)の時は大学4年生だった。国内の予選では個人総合で8位となり、6位までの代表に入れなかった。
「地元大会だから、これに出たいとかなり頑張ったんだけど、結局、補欠にしかなれませんでした。補欠といっても、予選7位の選手は誰かがケガをした時にすぐに出場できるようにチームに帯同するのですが、8位の私は何もない。目の前のオリンピックをただ見ているしかなくて、これで奮起しましたね。次のオリンピックには絶対に出てやろうと決意しました」
その中山さんをオリンピックに導いたのが、東京大会で個人総合金メダルに輝いた遠藤さんだったという。
「東京大会の前の合宿で、遠藤さんにいろいろ指導してもらいました。こうしたほうがいい、こういうところを注意しないといけない、と面倒みてもらいました。これがすごくプラスになりました」