コロナ禍や経済格差で世界が不安、恐怖に覆われるなか、再び独裁的な指導者の力が増している。自由な民主主義が脅かされているいまこそ、「20世紀の独裁」をとらえ直し、その功罪を見極める必要があるのではないか。「20世紀の独裁」の典型と言えるのが、ドイツのヒトラーとイタリアのムッソリーニである。この2人はしばしば「ファシスト」として一括りに非難されるが、その実像はどうなのか。
国際政治学者・舛添要一氏は、最新刊『ムッソリーニの正体 ヒトラーが師と仰いだ男』で、ムッソリーニとヒトラーの共通項をこう指摘する。
〈19世紀から20世紀へ時代が転換し、第一次世界大戦という列強間の覇権争いに、ムッソ リーニもヒトラーも兵士として参加しました。ムッソリーニ流に言えば、「戦士」です。イタリアは戦勝国、ドイツは敗戦国として戦争を終えますが、戦争への関わり方、戦後処理への怒りなどが、2人のその後の政治家としての歩みを決めるのです。
まさに、彼らは「戦争の産物」であり、ヒトラーは後に、「我々は戦争によって生み出された。我々の世界観は戦争を背景として成り立っている」と述べています〉(舛添要一『ムッソリーニの正体』)
ヒトラーより6歳年上、1883年生まれのムッソリーニは、1919年3月にファシズム運動を旗揚げし、1921年5月に国会議員となる。翌1922年10月、「ファシストによるクーデター」とも言えるローマ進軍をきっかけに権力を掌握した。
〈ムッソリーニがローマ進軍を敢行したとき、ヒトラーは1920年に結成されたナチ党の党首になったばかりで、ミュンヘンで活動していました。バイエルンというドイツの一地方で動き始めたばかりの小政党など、ムッソリーニは知る由もありません。
ところが、ヒトラーのほうは、ローマ進軍で首相になったムッソリーニをお手本として仰ぎ見るようになります。ムッソリーニはヒトラーにとっての師であり、ローマ進軍がなければ、ミュンヘン一揆も『わが闘争』もなかったかもしれません。
ヒトラーは、ムッソリーニが1925年に公務員に対して義務化したローマ式敬礼も真似をしますし、「フューラー」という呼称も「ドゥーチェ」をドイツ語に訳したものです。ヒトラーは、ミュンヘンの自分の執務室に、尊敬するムッソリーニの半身像を置いていたそうです〉(同前)