先日開催された東京五輪の開会式では、懐かしのメダリストたちが聖火ランナーを務めて国中を沸かせた。しかし、なかには表舞台から消えた「過去の英雄たち」もいる。記憶に刻まれたあのメダリストは今──。(文中敬称略)
「商売をする際は『金メダルの中谷』ですぐに顔を覚えてもらえました。柔道をやっていたおかげですね」
こう笑顔で振り返るのは、1964年の東京五輪で初めて正式種目に採用された“日本のお家芸”柔道で、金メダルを獲得した中谷雄英(軽量級)。
日本中が「優勝して当たり前」との雰囲気のなか、トップバッターとして登場した中谷は、全試合一本勝ちを成し遂げて見事期待に応えてみせた。
「表彰台に立った時は『責任をまっとうできた』と胸を撫でおろしました。僕が負けたら他の日本人選手の士気にかかわるし、『負けたら故郷の広島に生きて帰れん』と思っていましたからね」
大会終了後は三菱レイヨンに勤めるも5年で退職し、西ドイツ代表の柔道コーチに就任。1972年に帰国後、輸入雑貨業を営む実家の「ナカタニ商店」を手伝うようになった。
「舶来品などを扱う輸入雑貨店で、新たに設立された宝石部門を担当しました。それまで柔道一筋だったので宝石のことはチンプンカンプンでしたが、一番下の弟が宝石に詳しかったので協力して働いていましたね。
現在は仕事を完全にリタイアして、母校の広陵高校の柔道部を指導しています」
※週刊ポスト2021年8月13日号