中日、日本ハムで通算2204安打を放ち、引退後は日本ハムの監督を務めた大島康徳氏は、2016年10月にステージ4の大腸がんが見つかった。翌年2月に「余命1年」を宣告されたことを自身のブログで公表し、野球評論家の仕事を続けながら病と向き合う暮らしぶりを公にした。
今年6月30日に70歳で亡くなった大島氏が妻・奈保美さんに託したブログで、“遺言”が公開された。奈保美さんが振り返る。
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【幸せな人生だった 命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命 病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで 俺はいつも通りに普通に生きて 自分の人生を、命をしっかり生ききるよ】
これは、春頃に主人が自分で綴っていた言葉です。
普通は最期の言葉といえば、「俺がいなくなってもお母さんを頼むな」「苦労かけたな」といった家族に対する言葉を想像しますが、うちの主人はそれがないんです。私に対しては、最後まで「大丈夫」という言葉しか言わなかった。
だから私たちはいつも主人が書いたものを読んで、“そう思っていたんだ”と気づかされます。
自分が遺した言葉が息子にとってプレッシャーになったり、私にかけていた言葉が旅立った後に意図したことと違う形で私の中に残ってしまって辛い思いをさせてしまったりするのを避けたかったのかな、とも思っています。
食事をしたり、薬を飲んだりするのを手伝おうとすると「うっとうしい」って言うし、トイレに立とうとする時に腕を支えようとすると「大丈夫」って言う。アスリートはそんな方が多いと聞きますが、若い頃から自分の腕や肩を触られるのを嫌がっていました。そのアスリート精神を最期まで貫いていましたね。
がん患者の末期症状である痛みや苦しみがまったくなかったとはいえませんが、お薬でのコントロールが効いて、苦しまずに眠りながら徐々に体力が落ちて、その時を迎えました。
在宅医療でしたが、本当に弱った姿や苦しむ姿を家族に見せませんでした。
〈訃報記事の言葉選びで、珍しく感情を露わにしたことがあったという〉