57年ぶりの東京開催となったオリンピック。続々とメダリストが誕生して沸いているが、過去の五輪で活躍した日本選手の中には、表舞台から消えた「英雄」もいる。記憶に刻まれたあのメダリストは今──。(文中敬称略)
1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得し、「水泳ニッポン」復活の象徴となったのが男子水泳の田口信教(平泳ぎ100m金、200m銅)。独自に改良を重ねた「田口キック」やロケットスタートに国民が沸いた。
現役引退後は水泳理論の研究に没頭。アメリカのインディアナ州立大学に国費留学し、帰国後は鹿屋体育大学の講師となった。
「昔も今も興味があるのは泳ぎ方の探求です。現役時代はビデオを停止し、画面に分度器を当てて手の角度を測っていた。
鹿屋体育大では国から数億円規模の予算を獲得し、気圧を調整できる特殊環境実験室を導入して、泳ぎながら心電図を取り、腸内温度や血流を調べました」
そうして組み立てた理論を後進の指導で実践した。2004年のアテネ五輪では、教え子の柴田亜衣が800m自由形で金メダルを獲得した。
その後、鹿屋体育大の海洋スポーツセンター長や附属図書館長などを務め、現在は医療創生大学の理事として、医療にもつながるプロジェクトを進めている。
「今の夢は、心臓のポンピング能力を高めるための荷重力装置をつくることです。私が実験台になってもいいから、クラウドファンディングで資金を集められないか検討しています(笑)」
※週刊ポスト2021年8月13日号