東京五輪の開幕直前、開会式の楽曲と開閉会式の演出を担当していたクリエイターが相次いで追放された。過去の差別的な言動などが明るみになってその立場を追われる「キャンセルカルチャー」は、ますます先鋭化することが予想される。そうした社会でわたしたちはどうやって身を守ればよいのか。最新刊『無理ゲー社会』でリベラル化する社会の「残酷な構造」を描き出した作家・橘玲氏に聞いた。
(全2回の後編。前編は〈小山田氏辞任問題で考える「現在の価値観で過去を断罪する」是非〉)
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──今回の東京五輪を巡って、大会組織委員会会長だった森喜朗氏が女性蔑視発言で辞任したのを皮切りに、開幕直前には小山田圭吾氏、小林賢太郎氏らが相次いで職を追われた。長い期間をかけて準備してきたはずなのに、なぜこんな騒動になったのでしょうか?
橘:今回のトラブルの原因は、一言でいえば、組織委や実務を担った大手広告代理店が、「リベラル化」という世界の大きな潮流をまったく理解できていなかったことです。その結果、「これくらいたいしたことないだろう」と思っていたことが大事件になり、慌てふためいているということではないでしょうか。
──選挙や組閣など、政治の世界では過去にどんな言動をしていたかなど「身体検査」が行なわれるのが当たり前ですが、国際的なイベントを前にそれもできていなかったということでしょうか。
橘:組織委の内情を知っているわけではないのですが、当然の前提として、代理店に人選を任せる段階で「過去にリベラルズムの価値観に反する言動がある場合は外すように」と指示しなければなりません。これがどこまで徹底されていたのかは、開会式前のドタバタ劇を見るかぎりかなり疑問です。
──小山田氏も小林氏もきちんと謝罪してなかったから問題が広まった印象が強いですが、いち早く謝罪しておけば防げたのでしょうか?
橘:そう簡単な話ではありません。謝罪していても「誠意がない」「被害者が納得していない」「そんなものは謝罪とはいわない」として炎上するケースはいくらでもありますから。「被害者中心主義」では、いったん「加害者」と認定されたら、なにをしても許されないと考えるべきです。
──どうすればキャンセルカルチャーから身を守れるのでしょうか?
橘:身も蓋もない話ですが、そもそもキャンセルされる地位に就かなければいいだけです。キャンセルカルチャーの奇妙なところは、公的な仕事などキャンセル可能な地位に就くと人格や人生を全否定される批判(私刑)にさらされる一方、そのような立場にいなければ不問に付されることです。今回の騒ぎでわかったように、事前に危険を察知して参加を断った人は無傷で、依頼を受けたばかりに袋叩きにされるのですから、今後、賢い人たちがどのような判断をするかは考えるまでもないでしょう。