遺された家族の心に刻まれる、巨星たちが遺した「言葉」。第71・72・73代首相の中曽根康弘氏の孫にあたる中曽根康隆氏が振り返る。
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晩年の祖父(中曽根康弘氏)は入退院を繰り返していましたが、病室でも元気に過ごしていました。大抵はベッドのリクライニングで起きており、新聞は3、4時間もかけて隅々まで線を引きながら読み込む。国会中継も欠かさず見ていました。
妊娠中の妻を連れてお見舞いに行った時には、「双子ができる」と報告すると、「よかったなぁ」と喜んでくれました。
亡くなる1か月ほど前に会った時は、祖父を元気づけるために、病室に私のポスターを貼ったのですが、「よく見えるように、もっとこっちに貼れ」と言われて貼り替えました。
亡くなる2日前も様子は変わりなく、国会でのことを報告すると、「頑張れ」と嬉しそうに言ってくれました。
〈孫の康隆氏は祖父、父の背中を追って、2017年に自民党衆院議員となった。2年後の2019年11月29日、中曽根氏は101歳で死去した〉
私の名前は祖父が命名しました。自分の字を継いだ唯一の孫でもあり、可愛がってもらいました。
祖父からかけられた言葉で大切にしているのは、初当選の報告の時に言われた言葉です。
開口一番に「歴史を勉強しなさい。浮かれている場合ではない」と言われました。「先見性をもって国の舵取りをできるようにならないと、政治家として駄目だ」とも。祖父は政治家になることが目標ではなく、政治家になって日本のために何をやるのか、その目的を持つことが大事であると真っ先に教えてくれたと受け止めています。
そうして手厳しく対応しながらも、5分程度の面会の間に祖父は5回も握手をしてきました。徐々に嬉しさが込み上げてきたんだろうなと感じました。
歴史を学べということは、思えば随分前から祖父に求められてきました。
高校時代の途中から祖父と同じ屋根の下で住み、様々な話をするようになりました。
私が部活から帰ると、玄関に新聞や本が置いてある。外交・安全保障や憲法、教育政策などが多かった。それらには祖父が付箋を貼っており、線が引かれていた。「康隆、これを読みなさい」ということです。夕食の際に、資料や書籍を読んだことを報告し、その内容について話をすることがありました。祖父の政治家としての熱量は、この頃から感じていました。