7月23日に開幕した東京五輪では続々と日本人メダリストが誕生し、国中が沸いている。過去の五輪で活躍し、記憶に刻まれた日本人メダリストは今なにをしているのか──。(文中敬称略)
1972年ミュンヘン五輪の体操男子団体金メダリストで、新技「カサマツ跳び」で世界の度肝を抜いた笠松茂(男子団体・金、平行棒・銀、床・鉄棒・銅)。1976年モントリオール大会では、個人総合優勝の「最優力候補」とみられていたが、直前に盲腸炎で欠場という悲運に泣いた。
笠松は、中京大学卒業後の進路に迷った。
「大学に残って指導者になることも考えたが、地元の東海テレビに就職しました。最初の頃は、午前中は総務で一般社員と一緒に事務的な仕事をこなして、午後は体操の練習をしていました」
現役引退が近づき、体操から離れようと思っていた時、東海テレビが計画を進めていた「東海テレビレッツ体操クラブ東名」にヘッドコーチとして出向し、子供たちに体操を教えることになった。
それをきっかけに指導者のやりがいを強く感じるようになり、その後、出向先のクラブを「笠松体操クラブ」として独立させ、笠松と妻(メキシコシティー、ミュンヘン五輪の女子体操選手・和永さん)がコーチを務めた。
「現在は息子の昭宏(シドニー五輪代表)に代表を譲りましたが、私は顧問として毎日練習に顔を出しています。74歳なので昔のような技はできませんが、元気に指導しています」
※週刊ポスト2021年8月13日号