数々の名曲を生み出してきた、作詞家・阿久悠さん。石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』はその代表作のひとつだ。「阿久先生の詞には時代性とともに行間がたくさんあるんです」と語る石川が、阿久悠さんとの作品づくりの思い出について語った。
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私が高校を卒業した1976年、阿久悠先生と作曲の三木たかし先生がコンビを組んで『365日恋もよう』というアルバムを作ってくださいました。『津軽海峡・冬景色』はその中の1曲でしたが、お客様からの反響が大きく、1977年の元日にシングルとして発売。デビュー5年目にして初めての大きなヒットになりました。
阿久先生は常に時代を見据えて歌を作っていらっしゃいましたが、当時は「ウーマンリブ」が叫ばれていた時代。2番の歌詞のように、女性が自分の意思で行動する『津軽海峡~』は、耐え忍ぶ女が多かった従来の演歌とは違う、阿久先生ならではの作品でした。
ヒットを喜んでくれた先生は「次はさゆりが故郷に錦を飾れる歌を書いたからね」とおっしゃったのですが、いただいた詞のタイトルは『能登半島』(1977年)。私の名字から石川県出身だと勘違いされたようです(笑い)。でもその翌年には私の故郷・熊本を舞台にした『火の国へ』を書いてくださって、やはり三木先生とのコンビでミュージカルも作ってくださいました。
私が30代になってからは阿久先生のご自宅にお邪魔して、いろんなお話をしながら歌づくりをするようになりました。その頃、先生はある企画の打ち合わせでスタッフの顔をひとりひとり見て「共犯者はこれで揃ったね。さあ、事件を起こすぞ」と。いかにも先生らしい言葉だなぁと思いましたね。
先生の詞には時代性とともに行間がたくさんあるんです。だから歌い手も、聴く人も、それぞれの中にある景色や想いを重ねていける。たくさんの歌を書いていただきましたが、思い出深いのは『転がる石』(2002年)。先生の自伝的作品ですが、「さゆり、君は何があっても落ち着くことなく、転がり続けていきなさい」というメッセージを込めてくださったのだと思っています。
【プロフィール】
石川さゆり(いしかわ・さゆり)/熊本県出身。1973年にデビューし、『津軽海峡・冬景色』などヒット曲多数。8月18日に129作目のシングル『獨り酒』をリリース。来年3月に歌手生活50周年を迎える。
取材・文/濱口英樹
※週刊ポスト2021年8月13日号