【書評】『山崎正和の遺言』/片山修・著/東洋経済新報社/2420円
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
劇作家と大学教授の顔を持ち、評論家としても出色の批評作品を残してきた山崎正和が、生前、「まだ喋っていないことがある、ついては手伝ってほしい」と懇請し、「遺言」としてまとめられたのが本書だ。
「まだ喋っていないこと」とは、サントリーの創業80周年事業として設立されたサントリー文化財団の構想秘話、そして財団が挑んだ「知の循環」のための「学界と言論界の構造改革」についてであった。
「文壇、論壇のボス支配はもちろん、就職斡旋と研究費配分を通じて保証された大学、学会組織に修正を加え」、「思想界の沈滞を破ろうとした」のである。この野心と意欲は、それまで日本の言論界をリードしてきた論客たちからは、主導権を奪うものとして妬まれた。とりわけ江藤淳からは「目のカタキにされるほど」だった。
山崎が、江藤を文化財団のシンポジウムに招いた際、江藤は司会者の顔をつぶす発言をし、パネリスト一同、しらける中で席を立つようにして帰っていった。そして後ろ足で砂をかけるように、帰宅用にわたされたタクシーチケットで「東京から軽井沢までいくのに、このタクシーチケットを使った」。
徒党を組むことを嫌った山崎の「原像の秘密」は、満州での敗戦と引き揚げ体験だ。「子供にとっては、あからさまな性教育の場」というほど、ソ連兵はどこでもかしこでも婦女子を犯していた。
無政府状態がいかに恐ろしいかを知って、「どんなに悪い政府でも、無政府状態よりはましだという信念の持ち主」となる。「モーレツからビューティフルへ」と移行した時代、その信念を「筋のいい学者」に伝え、「民の力」で育んだ地域文化を顕彰するため、プロデュースしたのがサントリー文化財団だった。
山崎が時代の気分を切り取った同時代史、「おんりい・いえすたでい,60s」を『週刊ポスト』で連載した際、「全編口述筆記」でサポートしたのが著者である。45年にわたって親交を深めたジャーナリストにしか書けない評伝だ。
※週刊ポスト2021年8月13日号