戦禍で左腕を失いながら、戦後『ゲゲゲの鬼太郎』などで妖怪ブームを巻き起こした水木しげる氏。妻・武良布枝さんと夫唱婦随で苦境を乗り越える生き様は、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』(2010年)で描かれた。娘・悦子さんは、水木プロダクションで今なお愛される水木作品のサポートをしている。悦子さんが振り返る。
* * *
お父ちゃんは太平洋戦争で、パプアニューギニアのラバウルに出征していました。そこで左腕を失ってマラリアで寝込んでいた時に、現地の少年トペトロに助けられたんです。2人は戦後も交流があって、そのトペトロが亡くなった時にはお父ちゃんとパプアニューギニアでのお葬式に行きました。お祭りのような葬儀で、お父ちゃんもみんなと一緒になって踊っていました。「踊っている間ずっと、トペトロと一緒だった」と言うんです。それだけの“心友”を失ったから寂しいよねとねぎらったら、「いや、寂しいかっていうと、それほどでもないんだよ。トペトロはお父ちゃんの中におるんだよ。思い出せばいつでも会えるし、いつまでも一緒なんだよ」と。
その言葉通り、今の私の中にもお父ちゃんがいて、「悦子、なにか美味しいものない?」という口癖が聞こえてきます。90歳を超えても食欲旺盛で、「悦子。お父ちゃん、パンに肉挟んだやつ食べたい」ってハンバーガーをペロリと食べていた姿が、私の中にいつもいるんです。いつも人を笑わせるような話ばっかりして、私も姉も小さい頃からお父ちゃんのことが大好きでした。
私は小学生の頃にいじめられていたんですが親には言えなくて、担任の先生にどうしていじめられるのか相談しました。そしたら「お前がいるからクラスがまとまらない」と言われてすごくショックを受けて、私がいなければいいのかと死ぬことまで考えたんです。
そして一人で死ぬ方法をあれこれ考えていたら、ある時の夕食で、お父ちゃんが突然こう言ったんです。
「どうやら人の一生のうちの幸せや不幸の量ってものは、ある程度決まっちょうらしい。不幸だけではない。不幸があれば幸福も同じくらいある」
話の続きを聞こうと、お父ちゃんの書斎に行って「この先、生きていて幸せになるのかな」と尋ねたら、「そんなの神さんじゃないからわからんよ。お前の幸せはお前にしかわからんのだから。生きておればいずれわかる。悦子、もう少し生きてみんか」と、私の肩にポンッと手を置いたんです。その言葉のおかげで、これまで辛いことがあっても乗り越えてこられた。本当に大切にしている言葉なんです。