開幕直後から日本人のメダルラッシュが続く東京五輪。続々と金メダリストが誕生し、日本中を沸かせている。では、過去の五輪で記憶に刻まれたあのメダリストは、その後どんな人生を送っているのか──。(文中敬称略)
「戦っている時は互いに相手を殺すくらいの気迫で、生きるか死ぬかの気持ちでした」。眼光鋭く語るのは、圧倒的なレスリング(57kg級)の強さで1972年のミュンヘン五輪を制し「アニマル柳田」と呼ばれた柳田英明。闘争心溢れる男は1976年モントリオール五輪の日本代表コーチを務めた後、地方に居を移した。
「当時の指導者は無報酬が当たり前だったので、生活のために秋田県八郎潟町で実家が営む酒屋を手伝うようになりました。酒を荷から積み下ろして配達する毎日でした」
だが歴戦の猛者を周囲が放っておかなかった。柳田のもとに、1988年のソウル五輪を控えた韓国のレスリング協会からチーム指導の依頼が来た。
「何度か断わっていたけど、最終的に監督やコーチ陣の指導役を引き受け、五輪開幕まで何度も日韓を往復しました。
基礎から指導法を教えた韓国代表が金メダルを2個獲得したら、サムスンの会長から祝勝会に呼ばれ、当日は盧泰愚大統領から挨拶されてびっくりした」
ソウル五輪後、柳田は再び故郷に戻り酒屋を手伝いながら、現在はちびっ子レスリングを指導している。
※週刊ポスト2021年8月13日号