昭和歌謡界の巨匠といって思い出される2人、作詞家・阿久悠さんと作曲家・筒美京平さん。それぞれが作詞、作曲した曲は令和の現在になっても歌い継がれている。そんな2人の名前はともにペンネームだ。どのような経緯でこの名前を使うようになったのか──。
阿久悠さんの本名は「深田公之」。広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めた阿久さんは兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名を使い始める。
“阿久悠”としての初仕事は吉永小百合主演のラジオドラマ。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れず、独立後も使用する。1990年代には一部の歌手に“多夢星人”名義で詞を書くが、それは自身の小説の登場人物の名前に由来した。
一方、筒美京平さんの本名は「渡辺栄吉」という。レコード会社の洋楽ディレクター時代に作曲家デビューしたが、会社に内緒だったため、クレジットは師匠の“すぎやまこういち名義。独立後は「鼓が平らに響く」という意味で“鼓響平”という筆名を考案したが、「真ん中で折った時に左右対称の名前は縁起がいい」という意見を容れて“筒美京平”にしたという。
【プロフィール】
阿久悠(あく・ゆう)/1937年生まれ、兵庫県出身。2007年8月1日没。詩人・作詞家・作家。シングル総売り上げは6800万枚以上。日本レコード大賞受賞曲は作詞家として最多の5曲。『瀬戸内少年野球団』など小説も多数。
筒美京平(つつみ・きょうへい)/1940年生まれ、東京都出身。2020年10月7日没。作曲家・編曲家。シングル総売り上げは7600万枚以上。日本レコード大賞受賞曲は2曲。作曲賞は最多の5回。
取材・文/濱口英樹
※週刊ポスト2021年8月13日号