緊急事態宣言下で開幕した東京五輪。反対意見も多いなか、日本選手のメダルラッシュで盛り上がりを見せることとなった。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子も、今回の五輪について“コロナ禍でよかった”と思うことがあるという。オバ記者が、東京五輪における、コロナ禍の功績について語る。
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「ああ、そうか。そうだよね」。モヤモヤしていたものがストンと腑に落ちるのは一瞬のことなんだよね。ほかでもない、今回の東京五輪のことよ。
あれは7月半ばのこと。
「夫が東京競馬場のトーチキスに出場するんですけど、一緒に行きませんか?」と、ライター仲間の氏家裕子さん(41才)から誘われたの。氏家さんは女芸人からライターになった経歴の持ち主で、かつて「オバ・コバ7」というコンビ名で、私の相方として『M-1グランプリ』の予選にチャレンジしてくれた人だ。
彼女からのお誘いは、よほどのことがない限り、二つ返事と決めている。てか、親子ほどの年齢差のある人から誘われて、うれしくて仕方がないのよ。しかも彼女の夫・G氏は大手建設会社に勤務する33才で、聖火ランナーに応募して見事、採用された。ランナーになりたい、その熱い思いを作文にして認められたのだそう。
待ち合わせた府中本町駅の改札で、「オバ記者~!」とコバが手を上げる。駅には30代から40代の観覧者がパラパラいて、係員の人が順に体温を測ってイベントのタオルを手渡してくれた。その間、1分にも満たなかったと思う。
そうなんだよね。私たちにとっては2度目だけど、コバも、本来なら公道を走行する予定だったG氏も、「東京五輪は生涯一度のこと」なのよ。
私と同世代の仕事仲間や友達は、「オリンピックって、コロナ禍で国民の命と引き換えにするほどのこと?」だの、「どうせ一部の人の金儲けイベントでしょ」だのと言い、シメは「だからやめりゃいいんだって」に落ち着いた。正直、私も「だよね~」とうなずいていたクチだ。
だけど、世代が違うと、まったく景色が変わる。高度成長期もバブルも知らない世代の「開催できるなら、できる範囲でやってほしい」という願いを、ひとり暮らしの私はまるで理解していなかったんだわ。
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「ああ、この人だけはわかっているんだな」
そう思ったのは開会式の橋本聖子参議院議員の挨拶のときだ。「すべてのアスリートを称えたい。自信を持って舞台に上がってください。いまこそアスリートの力を見せるときが来ました」という涙ぐみながらの言葉に、思わずもらい泣きした。
体ひとつで世界と戦うということはどういうことか。
開催までどんなゴタゴタがあろうと、始まったら言い訳なしのガチンコ勝負。「五輪開催ハンタ~イ」なんて声を耳に入れながら、コロナ禍で命がけの練習をするのはどういう心情だったろう。開催しなければ流した汗に意味がなくなるようなことを何年もできるか。私なら絶対にムリだ。