前半戦をセ・リーグ首位で折り返した阪神は、2005年以来となるリーグ優勝を目指す。それぞれリーグ優勝を経験した阪神OBの中西清起氏、広澤克実氏、八木裕氏の3人が、過去にV逸した年と比較する。【記事全4本の3本目】
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──中西さんがストッパーだった1985年の優勝の後、阪神は下位低迷が続き、1992年は優勝争いに絡むも2位、次に優勝するのは2003年までかかりました。
八木:1992年も2003年も経験しましたが、状況は全く違いましたね。2003年は7月にマジック49が点灯してぶっちぎりの優勝になったので、そんなにプレッシャーはありませんでした。1992年は、ちょうどラッキーゾーンが撤去され、投手力と機動力でヤクルト、巨人と競わなくてはならなかった。久しぶりの優勝争いだったうえに、終盤までヤクルトとデッドヒートでかなり緊張感がありました。
中西:今年のタイガースのカラーは1992年に似ているかもしれない。新人ではないけど亀山(努)と新庄(剛志)が初めて一軍の戦力になった。今年、ルーキーの佐藤(輝明)、中野(拓夢)が活躍しているのと重なる。1992年は終盤の連敗で脱落したけど、やっぱり勢いで勝っている発展途上のチームは、負け始めた時に誰がまとめるかが大事になるね。優勝できた2003年や2005年は、ある程度完成された大人のチームだったから。
八木:2003年は星野(仙一)監督の力も大きかった。多くの監督のもとでプレーしましたが、星野監督の2年間はとても印象に残っています。その前の野村(克也)監督も凄い監督でしたが、星野監督には選手を引っ張っていく強烈なリーダーシップがありました。
中西:野村監督はボヤキが有名だけど、2005年の岡田(彰布)監督はボヤキじゃなくて愚痴ですね(笑)。話に結論が出ないから、ミーティングが長くなる。ただ、それが岡田監督の良さ。野球が大好きだから話が終わらないんだけど、真摯に取り組む人だから、コーチや選手の行動に目が行き届くんです。
──2008年はその岡田監督のもと、最大13ゲーム差を巨人に逆転されました。
中西:あの年は北京五輪で(藤川)球児、矢野(燿大)、新井(貴浩)が抜けて、オーストラリア代表でジェフ(ウイリアムス)まで持っていかれたからな……。今年と違って五輪中もシーズンが続いていたし、戻ってきた新井が腰を疲労骨折していた。最後は巨人との直接対決で7連敗ですよ。
広澤:ボクは打撃コーチでしたが、とにかく巨人のグライシンガーと内海(哲也)を打てなかった。お手上げでした。