ジャニーズ事務所名誉会長の藤島メリー泰子さんが14日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。93才だった。放送作家の山田美保子さんがメリーさんの思い出を綴る。
* * *
「ファンの皆様が集う場所をファンクラブではなく、ファミリークラブだと申しておりました通り、タレントもファンの皆様も同じ家族の一員であるというその絆を大切にし、ジャニーズのエンターテインメントそのものが共に成長し、お楽しみいただける場所であることに情熱を注いでまいりました」
上記はジャニーズ事務所からのコメントの一部である。
下記のエピソードは、業界人の中では私しか知らないことだと思い、急ぎ、書かせていただこうと思う。
1975年3月と、46年も前のことなので、細かいところは曖昧なのだが、当時、私が追っかけをしていたジャニーズJr.スペシャル(JJS)が、『日劇ウエスタンカーニバル』に出演するときのことである。
現在のようにチケット購入のシステムが整っていたわけではなく、ファンは日劇の前で売り出す時間を待たなければいけなかった。
JJS以外に、あいざき進也、伊丹サチオ、ずうとるび、フレンズ、ジャニーズ事務所から豊川誕、井上純一、葵テルヨシ、リトルリーブスら総勢30名が出演したコンサート。JJSファンとしては、何としてでも一定数の席を確保しなければと躍起になり、徹夜という手段に出たと記憶している。
それを耳にしたメリーさんが、ファミリークラブの女性スタッフを通じて「私の青山のマンションの鍵を開けておくので、代わる代わる、休憩に来ればいい」と言ってくれたのである。
事前に、同じ追っかけグループのメンバーと場所の下見に行ったところ、メリーさんが指定したマンションは、青山通りに面した比較的、細長い建物だった。恐らく、何軒かのマンションをお持ちで、その中の一軒を開放してくださるということだったと思う。
結果的に、日劇(現・有楽町マリオン)前から青山まではタクシーで往復しなければならず、「タクシー代がもったいないから行くのを止めよう」ということになり、追っかけ仲間と毛布にくるまりながら、チケット売り出しの時間を待った。
あれから46年。私は、このエピソードを決して忘れることができない。豪快さの中に細やかな優しさを持ち合わせていて、本当にファンをファミリーだと思ってくれていた象徴とも言うべきことだからだ。
メリーさん、あのときは、本当にありがとうございました。
藤島メリー泰子さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌