「50歳」という年齢を迎えてもなお、第一線で戦う気力を失わない羽生善治。〈楽観はしない。ましてや、悲観もしない。ひたすら平常心で〉──かつて著書『決断力』の中で、「勝つ秘訣」についてそう語った天才棋士は、自身の変化をどう受け止め、前に進む気力を維持しているのか。将棋観戦記者の大川慎太郎氏がレポートする。(文中一部敬称略)
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第一人者として将棋界に長らく君臨してきた羽生善治も50歳を超えた。デビューから35年が過ぎ、羽生自身とそれを取り巻く環境は大きく変わっている。現代社会のスピード化と多様化は留まることを知らず、将棋界もその例に漏れない。
そんな中、羽生は何を考え、これからをどう生きようとしているのか。今回は、記憶力や体力、そしてモチベーションをどう維持しているのかなど、より一般的なテーマについて羽生に尋ねた。50歳という年齢を感じさせないレジェンドはよく笑い、朗らかに答えた。その言葉の数々は、我々が今後をよりよく生きるためのヒントに満ちている。
(インタビュー記事前編となる、8月11日配信【羽生善治50歳「昭和のアナログから今のAIまで体験できたのは幸運」】、および8月12日配信【50歳の羽生善治「大事なことは自己評価と周囲の評価の一致」】も参照)
棋士は記憶力に優れている。自分が過去に指した将棋はかなりの数を覚えているのは間違いない。だが最近、若手棋士から「覚える量が多すぎて大変」「記憶違いで負けた」という声を聞くようになった。現在はAI(人工知能)を使って序盤戦を研究するのが主流で、大事な変化手順とその評価値を大量に暗記しなくてはいけない。記憶の量が勝敗に直結することもあるので皆、必死である。
物覚えがいいとされる若者ですら嘆くような状況だが、ベテランの羽生はどうなのだろう。
「トレーニングを続ければ記憶力は衰えにくいので、年齢は関係ないと思っています。絶対に覚えなくてはいけないことは忘れないものです。人間は必要がないことって覚えないんですよね。例えば調べればすぐにわかることなどがそうです。それになんでも覚えていればいいわけでもないし、忘れたほうがいいこともたくさんあります」
どんなトレーニングをしているのか羽生に尋ねると、「将棋の定跡を覚えること自体がトレーニングの一つです。その作業を続けていれば、記憶力が悪くなることはありません」ときっぱりと語った。
いま、若手棋士が突き当たっている難題についてはどんな考えを持っているのか。羽生もAIを使って研究しているが。
「その問題は何が難しいかって、似て非なる形を覚えることが難しいんです。例えば将棋は歩の位置が一つ違うだけで、結論が大きく変わることがある。全然違う形を覚えるのはそれほどでもないですが、類似形を記憶するのは簡単ではない。全体像をきちんと捉えて理解しておく必要があります。また視覚にだけ頼るのは危険なので、手を動かすとか、話すとか、五感をきちんと使うことが身につくコツです」