日本ハムでチームメイトへの暴行事件を起こして“無期限出場停止”を受けながら、8月20日の巨人移籍と同時に処分が解除された中田翔。翌21日に1軍登録され、22日にはスタメン出場して2ランホームランを放つなど、巨人の戦力として活躍し始めた。それでも、今回の処遇に対しては、疑問の声が多数上がっている。プロ野球担当記者が話す。
「数日前まで“無期限出場停止”だった日本ハムの4番が、別のリーグに行って優勝争いをする巨人の戦力になっている。そこにはやはり違和感がある。理屈としては日本ハムで起きた問題だから、チームを離れれば、処分は解除になる。だが、それでファンが納得するのか」(以下同)
過去、“無期限出場停止”になった選手などの処分はいつまで続いたのか。主な例を挙げてみよう。1958年5月10日、東映の山本八郎は南海戦で判定を巡って、一塁塁審に暴行を働き、退場を宣告される。それを不服として、さらに暴行を加えて無期限出場停止の処分を受けた。その後、ファンの署名もあって43日間で処分は解除された。山本は翌年5月にも、チームメイトへの暴行や試合中に相手選手を殴打し、6月1日から無期限出場停止に。約3か月後の8月31日に解除された。
阪神の柴田猛、島野育夫・両コーチは1982年8月31日の大洋戦でファウルの判定を不服として、2人がかりで審判に暴行を加えた。ともに無期限出場停止の処分となり、翌年に205日で解除された。巨人のガルベスは1998年7月31日の阪神戦で判定に不満を持ち、審判にボールを投げつけて、侮辱行為で退場となった。巨人が無期限出場停止、セ・リーグが同シーズン中の出場停止処分を下した。オフに巨人はガルベスと契約し、翌年の開幕投手となっている。無期限ではないが、巨人の三原脩監督が1リーグ時代の1949年4月14日の南海戦で、守備妨害した相手の筒井敬三に暴行。いわゆる『三原ポカリ事件』を起こし、シーズン終了までの出場停止となった。ただ、約3か月の100日間で解除されている。