1971年(昭和46年)からソロとなり、今年50周年を迎えた“ジュリー”こと沢田研二(73才)。今年5~6月に行われた記念ライブのチケットは即完売し、9〜11月には追加公演も発表された。昨年亡くなった志村けんさん(享年70)の代役を引き受けた映画『キネマの神様』(公開中)も話題だ。
これまでのキャリアの中で、何度かの転機があったジュリー。1985年には、デビュー以来、在籍していた渡辺プロダクションから独立し、個人事務所を立ち上げた。レコード会社も『ポリドール』から『東芝EMI』に移籍し、《変革期》を迎える。
この時期のジュリーに魅了されたのが、音楽評論家のスージー鈴木さんだ。
「いま思い出すと、私がなんとなく沢田研二のことが気になり始めたのが、1985年。特に1970年代までは好きも嫌いもなく、ヒット曲を連発しているナンバーワンの人というイメージだけでした。ところが独立以降の彼は、その座から外れるわけです。でも、そのナンバーワンという色メガネを外したら非常に男気のある、かっこいい生き方をしている人だとわかり、むしろ惹かれていきました」(スージーさん)
また、ダイアモンド☆ユカイも、この時期のジュリーに変化を感じたという。
「その頃から、沢田さんは芝居を積極的にやるようになった。歌も芝居がかった感じになり、別の路線に変わってきた感じでしたね。
いつだったか、エディット・ピアフを歌うコンサートがあって、そこに沢田さんが出ていて驚いたことがあります。
いろんなゲストが出ている中で、沢田さんは歌もうまいし、個性的でどの人より目立っていた。エディット・ピアフの歌も沢田さんの世界にしてしまっていて、やっぱりこの人、スゲーって思いました」(ユカイ)
真のエポックは“人間60年・ジュリー祭り”
確かに1985年以降、以前のようなメガヒット曲に恵まれることはなかったが、『CO-CoLO(こころ)』や『JAZZ MASTER』などの新バンドを結成し、アルバム制作のセルフ・プロデュースも宣言。俳優としても数多くの映画やドラマに出演するなど、活動の場を広げていく。
「1985年が変革期であるのは間違いないのですが、本当にエポックとなるのは、2008年に行われた還暦記念のコンサート“人間60年・ジュリー祭り”だと思うんです。約6時間半をかけて80曲を歌い切るという、とんでもないコンサートでした。見に行きましたが、本当に感激しました。ジュリーはいまでもそうですけど、声が全然衰えない。怪物、化け物ですね(笑い)」(スージーさん)