世の中の健康ブームとともにタバコ文化が隅に追いやられて久しいが、昭和という時代を語るのにタバコの煙は欠かせない。昭和の大スターたちは紫煙をくゆらせながらどんな表情を浮かべ、どんな言葉を交わしていたのか。雑誌『話の特集』の編集長、矢崎泰久氏が永六輔さん(享年83)との思い出を振り返る。
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永六輔さんと僕は同じ1933(昭和8)年生まれ。出会ったのは安保闘争の2年前の1958年でした。永さんが若手の文化人たちと「若い日本の会」を立ち上げて安保改正に反対しているのを、僕が新聞記者として取材に行ったのが最初です。だから、かれこれ60年近く付き合ってきたことになりますね。
〈雑誌『話の特集』の編集長、フリージャーナリストとして数多の作家と交流のあった矢崎泰久氏。とくに永六輔との親交は深く、著書『タバコ天国 素晴らしき不健康ライフ』(径書房刊)にも永にまつわるエピソードが登場する〉
愛煙家は銘柄にこだわる人が多いんです。僕は若い頃はピース、今はチェ・ゲバラの名前を冠したキューバの『チェ(Che)』を吸っています。作家の野坂昭如は缶ピースでした。一方、銘柄にこだわらず、人に「一本」とねだる“お先タバコ派”といえば、永六輔、寺山修司、小松左京の3人でした。
小松さんは超が付くほどのヘビースモーカーで、2~3口で吸い終えるとすぐに次のタバコに火をつける。銘柄はショートホープと決まっていましたが、1箱10本入りだからすぐに空になる。あちこちのポケットに入れておいても、すぐに人から貰うしかなくなるというパターンでした。
寺山さんは若い頃からネフローゼという持病があったので、タバコを吸い込むことはできない。だけどカッコつけたいから、コートの襟を立て、白いマフラーを巻いてタバコに火をつける。紫煙に包まれる自分を演出していたんですね。
永さんの場合は、家族にも周囲にもタバコを“吸わない人”で通していました。でも、僕たち友達付き合いのなかで、誰かが美味しそうにタバコを吸っているのを見ると、自分も一服したくなるんです。
黙って僕のタバコを1本抜いては、下唇をちょっと突き出した愛嬌のある顔で火をつける。ほぼ吸ったと同時にむせるから、すぐに灰皿で火を消すことになり、こちらとしては“もったいないなぁ”と(笑)。そんなことがしょっちゅうでした。
僕も永さんも戦時中を軍国少年として過ごし、戦後になるとそれがすべて否定され、一気に“なかったこと”にされた。だから自由への憧れは、いまの人たちよりも強かった。なかでも永さんは自由に対する感度が高く、タバコをくゆらせるのはその表われのひとつだったように思います。