いまでこそ特定の場所でしかタバコを吸うことができない世の中だが、昭和の時代にさかのぼれば、どこかしこにタバコの煙が漂っていた。スポーツ選手といえども喫煙者が多かったあの頃、プロ野球選手たちのタバコ事情はどうだったのか──。元プロ野球選手の門田博光氏が明かす。
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ノムさん(野村克也氏)はヘビースモーカーで、いつもタバコを2箱持ち歩いていました。1日3箱くらいは吸っていたんじゃないかな。
僕は吸わなかったけど、プロ野球選手はストレスがたまる職業だから、当時は「リラックスしたい」という理由でタバコを吸う選手が7割以上もいた。遠征先のバスの車内は煙で前が見えないくらいでしたよ。タバコを吸わない外国人選手が入団したためにバスが喫煙車と禁煙車に分かれました。
飲み屋に行っても、タバコを吸わないとガキ扱いされた時代。僕もカッコつけて一度だけ葉巻を吸ったことがあるんですが、後輩に「アル・カポネやね」と言われて吸うのをやめたんです(苦笑)。
〈1969年11月、34歳の若さで南海ホークスの選手兼任監督となった野村は、入団1年目の門田博光をスタメンで起用。その期待に応え、門田は野村が解任される1977年までの8年間に5度、3割を打つ。1992年の引退までに通算2566安打、567本塁打を記録した〉
ノムさんはいつでもタバコを吸っていて、ミーティング中もタバコを手放さなかった。
ただ、どの球場でもベンチは神聖な場所だったから、誰もベンチ内ではタバコを吸いませんでした。イニング間にベンチ裏で吸っている選手もいましたが、ノムさんは監督兼正捕手だったから、タバコを吸いに行く時間はなかったでしょうね。
いまは選手がベンチで水をがぶがぶ飲んでいる姿がテレビに映ったりしますが、僕たちの時代にはあり得ないことですよ。必ずベンチ裏に行って飲むようにしていました。
タバコも同じで、ベンチ内やカメラレンズが向いているところでは吸わなかった。ベンチで裸になって着替えるのもNG。喫煙者は多かったけど、そうした規律のある時代でした。
※週刊ポスト2021年9月10日号